「輪廻の孔雀」 | ◎時空の螺旋◎ spatio-temporal-*HELIX*

◎時空の螺旋◎ spatio-temporal-*HELIX*

この世界の美しさ
自然の摂理の巧妙さ
命の営みの不思議さ

センス・オブ・ワンダーをアートで表現します。

「輪廻の孔雀」

 

私たちは

広大な宇宙に

一瞬だけ形作られた

ちっぽけな粒子の塊である。

 

私たちは

極小な宇宙を

あまた内包し揺蕩う

永遠の存在である。

 

どちらも同じこと。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

フォトフレームアート第二弾です。

 

大きさはこのくらい。

 

 

5/6(日)のイベントに持ってゆきます。

ちなみにお値段は諭吉さんでお釣りがくる予定ですよ。

 

「輪廻の孔雀」はその名の通り、

こないだリバイバルシリーズで再掲載した、

「輪廻」の孔雀です。

 

 

元の絵はこれ。

 

せっかくなので「輪廻」についてちょっと考えましょう。

 

魂が生死を繰り返すことを「輪廻」と言います。

輪っかがぐるぐる回るイメージです。

「転生」は生まれ変わること。

「輪廻転生」

仏教用語ですね。

 

そのぐるぐるから外れることを「解脱」という。

「解脱」した状態を「涅槃」という。

 

大まかにはこんな感じです。

 

言い出したのはブッダさん。

私はブッダに関する知識は

「聖★おにいさん」しかなかったんですけど

(マンガです)

おでこのイボみたいなのがイボじゃなくてが超長い毛の塊だとか。

本を読んでほんのちょっと詳しくなったのでメモっておきます。

 

仏教の最古の経典は「スッタニパーダ」。

ブッダじゃなくて弟子が書いたものです。

 

ブッダ本人は何にも書いてなくて喋っただけっていう。

それを弟子たちがメモって本にしたっていう。

キリストもそうでしたよね。

孔子もそうじゃなかったっけな。

 

言い出しっぺが書かないのはなんでだろう。

文章や文字にすると、省かれてしまう真意があるから?

生演奏のピアノの曲をCDにすると再現できない周波数があるようなものかな?

口頭のほうが、だんだん伝言ゲームみたいに歪んでいきそうな気もしますが。

 

ま、おいといて。

 

輪廻の流れを断ち切ると

何にもない。

 

執着がなくなります。

欲望がなくなります。

だから悩みがなくなります。

煩悶しなくなります。

ここまではいいことっぽいですけど、

善悪もなくなります。

人を好きになることもなくなります。

てか

好き嫌いや快不快も

自分と自分以外の区別も

あれとこれの区別も

感覚も思考もなーんもない。

 

そうなることを解脱といい涅槃といいます。

 

輪廻のサイクルから外れるというより、

生まれる必要がなくなる、

生まれるとか死ぬとかの区別すらもう何にもない究極の状態・・・

 

それ、楽しいか?

 

と思いますね。

 

物理的に言うと何の反応も変化も相互作用もしない粒子として、そこに存在するかどうかもよく分かんないって感じでしょうか。

 

この世界も見えてる角度を変えれば、

くっついたり離れたりしている粒子、つまり相互作用している粒子の流れだけだってブッダさんも言ってたみたいですね。

 

非二元論や最先端物理で言われていることが

紀元前数百年前にブッダさんは気付いていたわけで

 

「それ、とっくの昔にオレ言うたやん???」

 

・・・と思うことも、解脱した状態ではないんでしょうね。

 

なーんも感じない状態ですから。

 

そんな究極になんもないクソつまらん状態を想像してからの~

 

 

輪廻転生の真っただ中で好き嫌いがあって執着し煩悶し欲望たっぷりで生きている”今”!

 

ありがたいですね。

楽しいですね。