「深海龍の眼」 | ◎時空の螺旋◎ spatio-temporal-*HELIX*

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この世界の美しさ
自然の摂理の巧妙さ
命の営みの不思議さ

センス・オブ・ワンダーをアートで表現します。

今回のテーマは
”自分が自分を自分だ、と認識する仕組みって何?”
です。やや長め。
 
なんだかねぇ、またドラマの話なんですけど、
視覚探偵や下剋上受験も見てますけど、
「嫌われる勇気」が私に妙にリンクします。
 
解剖学の先生のところに元カレの遺体が・・・
っていうお話でした。
 
それでアッと思ったのですが、
私も仕事で病理解剖をやっていたころ、
知人のご遺体が献体されてきたことがありました。
 
浮腫や損傷がほぼなかったにも関わらず、
カルテの名前を見るまで私はそのご遺体が知人だと気付かなかったのです。
 
言われてみればお顔は確かに見覚えのある知人でした。
でも、何か違う。
 
私は思いました。
 
あの人があの人だった「何か」がもうない。
あの人はもうここ(ご遺体)にはいない。
あの人の『本体』はこれ(肉体)ではない。
 
(「千の風になって」の歌詞みたい・・・)
 
じゃあ、あの人の『本体』は一体何なんだろう?
私が『あの人だ』と認識していたものは一体何なんだろう?
 
魂・霊・心・意識などと呼ばれるものが本体だ、
それがなくなったから気付けなかったんだ、
と言えばまぁそういうことか、とスッキリはします。
 
だけど、
 
心臓を解剖しても「循環」が出てこないのと同じように
脳を解剖しても「心」は出てこない
 
この養老孟司さんの言葉も私にはストンと腑に落ちるのです。
 
魂・霊・心・意識というのは存在する”何か”
ではなく変化する”動き”を指すのなら
私はどうやってあの人をあの人だと認識しているんだろう。
 
 
個人が主観的に何かをアレだ!
と感じる質感のようなものを『クオリア』といいます。
ケガしたとき痛い!と感じるその感じ、
700nm前後の波長を赤色だと感じるその感じ、
それがクオリア。
 
私は人に色と質感を感じます。
”共感覚”という五感が入り混じった状態ですが
やっぱりそれもクオリアが生じているのです。
 
ほとんどの人の色と質感は球体の中に見えます。
色は様々で一色の人も多色の人も、
ラメっぽかったり透き通っていたり刻々と変化したりもします。
質感は宝石や煙や火や水やゼリー状だったり奥行や広がりも感じたりします。
 
誰の色や質感を見てもうっとりするほどキレイです。
それが何を表しているのかはよく分かりません。
なぜそれを感じるのかも分かりません。
 
分子生物学、脳科学、哲学あたりが融合して、
”自分を自分だと感じるクオリアは一体どこから来るんだろう”
というテーマの研究を進めています。
あ、私じゃなくて優秀な研究者さんたちがね。
私もはやく知りたい。
行きつく先が楽しみですね。
 
さて、
認識とかクオリアとかを考え出した理由は
深海龍のお顔を見たからです。
 
 
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深海の海底に横たわる巨大な龍。
海の色に染まったような鱗が綺麗だ。
私は龍に話しかけてみる。
 
 ・・・あなたの顔はどこ?見せてくれない?
 
巨大な胴体がゆっくり動き出す。
龍が動いているのか
自分が動いているのか
よくわからなくなってくる。
 
ゆっくりのぞかせたその顔を見て
私は驚愕する。
 
 
 
 ・・・私!? ・・・私に、似ている!?
 
そんなわけはない、獣のような龍の顔、
なのになぜか私は自分の顔と似ていると感じるのだ。
 
深海龍には眼球が見えた。
ほかの龍には見えないのに。
 
私は釘付けになった。
透き通った宝石みたいなその眼球に見覚えがある。
 
 ・・・あれは、私の色と質感だ!!!
 
中心に濃い青、その周囲は水色の水か空間のような球体・・・
(※参照 ”今はビジョンを見るタイミング”http://ameblo.jp/spatio-temporal-helix/entry-12245102133.html
 
私が見ているものは一体何なんだろう、
私が知らないことをたくさん話す龍たち、
だけどそれも私の脳が作り出した幻影なんだろうか。
 
混乱している私に深海龍が静かに言った。
 
「母性を発揮しているときの自分だと思えばいい。」
 
私はますます混乱した。