2.心理学における生体と物質の相違について


心理学における生体と物質の違いを一義的に述べることは難しい。

なぜなら、その違いは時代にともない変化しているからである。


心理学という学問は、人間に身近な現象を取り扱う傾向が強いので、

時代や社会・流行などに影響を受けやすいのである。


現代の心理学は、幅広い領域にまたがっており、領域ごとに生体と物質の違いについても

異なった見解を示していると言ってよい。


また、心理学の歴史をたどっても見解が異なっていることがわかる。

ゆえに、心理学における生体と物質の相違について、

心理学の歴史をたどりながらその変遷をたどってみよう。


心理学の源流は、万学の祖であるアリストテレスにまで遡ることができる。

アリストテレスは、自身のヒエラルキー的世界観において生体と物質を区別した。


その世界観とは、最下層に物質をおき、その上に植物、

その上に動物、最上層に人間をすえたものである。


人間・動物・植物と物質の相違は、生命の有無である。

そして、高次の段階になるにつれ、生体やその行動の複雑性、適応力が上昇するというのである。


一方、古代一般の人々は、人間以外を生体とは認識していなかった。

人間はこころをもつものとして、他の存在とは別格であり、こころについて哲学的な試作を行っていた。


心理学が現在のように科学的・客観的な学問として成立したのは、19世紀後半のことである。

それは、心理学の父と呼ばれ、生理学者で哲学でもあったヴントによって行われた。


ヴントは生体と物質の違いを意識の有無としている。

それゆえ、意識が認められる人間以外は生体として扱っていなかった。


ヴントに反発し、ワトソンは意識という主観的なものを排除し、客観的な行動のみを研究対象とする

行動主義を打ち立てた。


つまり、ワトソンは生体と物質の境界を行動の有無と結論づけたのである。


一方、ゲシュタルト心理学というものも行動主義と時を同じくして成立した。

これは、科学的要素還元主義を用いず、複雑系の創発論的に、

知覚や感覚の全体は感覚的要素の総和以上であるとする立場である。


つまり、知覚や感覚の有無に生体と物質の相違を求めたのである。


それまでの心理学は人間以外の動物を生体としては厳密に認識してこなかった。


心理学で人間以外の動物を生体として扱ったのは、スキナーである。

スキナーは、ハトを魚雷にのせて魚雷を操作させようとしたことからも分かる通り、

学習できるものはすべて生体とみなした。


比較的下等動物は本能行動に依存するが、高等動物は発達するにつれて、

経験によって学習した行動に依存し、環境に能動的に働きかける。

このようなスキナーの立場は新行動主義と呼ばれた。


以上のような流れをくみ、最近の心理学が扱う領域は非常に幅広く、

産業・芸術・法律・政治・経済・社会・臨床・環境・認知・交通など数えればきりがないほどである。


先ほどは、その領域ごとに生体と物質の違いについての見解は異なると述べたが、

最近の傾向として、一部の心理学者が生体と物質の相違を意識や心の有無によると

考えていることも事実である(トランスパーソナル心理学など)。


心理学のある分野では、紆余曲折を経て、再びアリストテレスやヴントの時代の原点に帰り、

現在、心の科学として成立しているのである。


また、今回は生理学と心理学を区別したが、生理心理学という分野がある以上、

その区別に大した意味はないのかもしれない。


[参考文献]

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