前回 は、心理学が破綻してしまう可能性から改めて心理学について考えた。
今回は、心を科学するという難しさについて考えてみたい。


『トム・ソーヤの冒険』で知られる作家マーク・トウェインは、
「ベッドは世界で最も危険な場所である。80%の人がそこで死ぬのだから」と語ったという。

もちろん、多くの人が冗談だと分かる内容だ。

「死の床に伏す」という言葉があるくらいで、
重病・重症の人がベッドを使うのでベッドで死ぬ人が多くなる。

だったら、腹上死が多くなれば、腹が世界で最も危険な場所になるのか。

このような事例は、科学において因果関係を特定するのが困難であることを考えさせられる。

統計学を習うと、相関関係と因果関係の違いについて学ぶ。
相関関係は因果関係を保証しないと。

例えば、「プラスイオンが増えると、犯罪や交通事故の発生率が上がる」
「給与の高い人は、走るのが遅い」
「常夜灯を付けたまま乳幼児を寝かせていると、その子は近視になる」

これらは、すべて典型的な偽相関である。
つまり、別の要因が関係していることを見失い、
ただちに因果関係を推定している。

他に例えば、
「バレーボールをすると身長が伸びる」という論は、
身長が高いからバレーボールをする人もいるということを見落とし、原因と結果を逆転させてしまっている。

科学において「なぜ?」を考えることは骨の折れる作業だ。
「なぜ」なら、ある現象に関する原因は複数あるため、
どの要因が原因となっているかを特定するためには、
その1つ1つの要因を比較検討しなければならないからだ。

こと人間を対象にした場合、科学的に因果関係を推定し、
一般化していくのは不可能かもしれない。

脳の中にあるニューロンは1000億あり、
シナプスの数は1000兆あるといわれている。
その組み合わせによって脳の自発活動が起こるが、
脳は常に書き換えを行うので、もう二度とおなじ状態に戻ることがない。

つまり、再現性がない。
ある研究機関は、「脳には再現性がないという事実には再現性がある」として科学研究をしているそうだ。

脳のレベルの話をしなくとも、人間を取り囲む環境を考えれば分かる。
全く同じ生育環境で育った人間など、1人としていない。
ノイズも多い。
ゆえに、全く同じ条件で比較できるサンプルなど存在しないのだ。

意思決定の問題を扱うとき、人間に理由を求めるのは難しい。
なぜなら、理由などない場合が多いからだ。

咄嗟にジャンケンをしかけて、相手がパーを出してきたとしよう。
そのとき、なぜパーを出したかを答えられる人は少ないだろう。

もちろん、後付でいくらでも理由を述べられるが、その瞬間の思考を忠実に再現しているとはいえない。

これらは、すべて脳の自発活動が原因だが、それらは毎回異なる。
つまり、意思決定には根拠などないのである。

と、これまでネガティブなことしか述べていないが、
再現性がないからこそ私は人間を扱う研究が楽しいと考えている。

実験のたびに、個人の反応を楽しむことができる。
心理学は私にとってオナニーでしかないが、そのおかずは多種多様で飽きることがないのである。
そんなこんなで、次回はこのシリーズの総括を行ってみたい。


[参考文献]