誰しも一度は、自分の心や他人の心について考えたことがあるだろう。
心理学を評して、「学ぶ前の人には親しみを、学び始めた人には当惑や混乱を与える学問である」
と語る人もいる。
このような事態を招くのは、心理学の未学者・初学者が「心は科学で解明できない」という見解を持っているが、
大学で行われている心理学は
心の科学・行動の科学といった「科学」を基盤に成立していることが一因だと考える。
つまり、一般の人が求めている心理学と学問領域での心理学では非常に深い溝があるということである。
では、なぜ心理学の未学者・初学者はそのような見解を持っているのだろうか。
それを明らかにするためには、心身問題に取組まなければならない。
心身問題とは、我々がもつ「自分が人間であり心を持っているという常識的見解と、
物理的世界に関する我々の全体的な科学的理解との折り合いをつけることの困難さ」のことである。
もともとデカルトは、主格二元論(心身二元論)において、主観(観察するもの)と客観(観察されるもの)を完全に分離することで近代科学を成立させている。
つまり心身問題とは、それらの分離された主観と客観とを統合しようとする試みに他ならない。
このような問題に対し、心理学では4つのアプローチが可能である。
1.実験至上主義的アプローチ
そのような統合には意味がなく、客観性重視の捉え方
2.心理主義的アプローチ
心は客観性で捉える事はできないとし、主観性や意味を重視するという捉え方
3.質的心理学アプローチ
1と2の折衷案
4.すべてを脳に還元してしまうアプローチ
心的現象はすべて脳の中で進行する様々な過程を原因として生じるので、主観も客観も存在しないとする
捉え方(心脳同一説)。
ここでは、1と2を取り上げる。
1つ目のアプローチは、心を物理的実体として捉え、機能主義を通じた物理系として理解するというものである。
つまり、心は記号処理操作・計算を駆使し、その機能を遂行するという計算主義ということもできる。
2つ目のアプローチは、我々の日常的な心の概念や心における直観に合っており、
文化・生活様式・伝統・社会に深く根ざした心の概念であるといえよう。
1つ目のアプローチを大学で論ぜられるという意味で大学心理学と呼ぶ、
2つ目のアプローチを日常生活における心が主題であるという意味で
日常心理学(素朴心理学)と呼ぶ人もいる。
以上のような議論を踏まえると、心理学の未学者・初学者は2つ目のアプローチを取り、
心理学の研究者は1つ目のアプローチを取っていることが分かる。
言い換えれば、心理学の未学者・初学者と研究者との興味には乖離があるということである。
科学は反復可能な具体的で一回限りの経験から、
法則化や反復が可能な抽象的なものを取り出すことに邁進する。
ゆえに、研究者の興味は、そこに集中する。
また、一方は科学で扱いにくいものを想定し、
一方は科学で扱いやすいものを想定しているため、もともと想定している題材が乖離しているともいえる。
以上のように、心理学の初学者・未学者は人間の心において科学で扱えないものを想定しているため、
「心は科学で解明することができない」という見解を持っているのではないだろうか。
ここで心理学者における一つの疑問が生じる。
果たして、心は科学的手法で解明できるのかという疑問だ。
それは、次回に論じることにしよう。
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