芸術・美術作品を鑑賞するとき、知識や記憶が邪魔になることがある。
知識は自らの思考を規定し、知識によって予期や先入観が生じてしまう。
それによって外界の情報は歪んで認知されることもある。
それをトップダウン処理という。
芸術・美術作品を美しいと感じるのは、恐らくトップダウン処理が働いていると考えられる。
つまり、美しいと感じる心は知識による規定を受けているのではないかということである。
一方、感覚器官によって入力された情報を処理し、
より高次の枠組みを形成していくことをボトムアップ処理という。
トップダウン処理とボトムアップ処理は、人間の能動的な情報処理にとって不可欠だと考えられている。
しかし、こと芸術・美術作品に関して、トップダウン処理がかかりすぎるのは好ましいことではない。
知識を詰めすぎると、トップダウン的処理がかかりすぎるため、
物事は知識からの激しい干渉を受け拘束される。
もちろん、外界からの情報を効率よく処理するためにはトップダウン処理が必要とされるわけだが。
眼前にあるものをそのまま捉えることは困難であるが、
芸術・美術作品を鑑賞する前に知識は不要なのかもしれない。
ボトムアップによる外界の情報を入力し処理することで生じる様々な感情を大切にしたい。
そこでは、美しさを感じることが出来ないかもしれない。
それでもよいのではないか。
岡本太郎作『明日の神話』を鑑賞しながら、そんなことを考えた。
知識は、想像力への扉を固く閉ざしてしまうのではないだろうか。
[今回の参考文献]
- 知性と感性の心理―認知心理学入門/行場 次朗
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