2010-10-12amebaブログ俳句に難することから
今日は、俳聖と言われる
松尾芭蕉の亡くなった日。
芭蕉は、幼名を金作といい
芭蕉は、幼名を金作といい
その後、甚七郎、忠右衛門宗房、桃青、泊船堂、破焦そして
芭蕉庵桃青、と、改名。
本名は、松尾忠右衛門宗房。
であるから、今日はまた
本名は、松尾忠右衛門宗房。
であるから、今日はまた
桃青忌、俳翁、として、翁忌
そして、芭蕉が好んで俳句を作った季語と、
今の時期から、時雨忌、とも言われます
因みに、初時雨とは、今の暦では、11月の初めに降る時雨のこと。
彼が奥の細道を巡ったことは、今更書く必要も無いけれど、横浜の、権太坂の先にも、芭蕉が巡った場所がある処を見ると、いかに、丁寧に、日本の津々浦々を巡ったかが偲ばれます。
毎年10月12日は、三重県伊賀市上野公園内 俳聖殿前広場で、芭蕉祭が行われるそうです。
彼がこの伊賀上野の出身であること、と、巡った土地と、その日程の誤差から、彼はスパイ、その頃の呼び名で言う隠密ではなかったか、と、いう説がありますが、その一方で、実際に全部回ったわけでもない、という説もあります。
因みに、初時雨とは、今の暦では、11月の初めに降る時雨のこと。
彼が奥の細道を巡ったことは、今更書く必要も無いけれど、横浜の、権太坂の先にも、芭蕉が巡った場所がある処を見ると、いかに、丁寧に、日本の津々浦々を巡ったかが偲ばれます。
毎年10月12日は、三重県伊賀市上野公園内 俳聖殿前広場で、芭蕉祭が行われるそうです。
彼がこの伊賀上野の出身であること、と、巡った土地と、その日程の誤差から、彼はスパイ、その頃の呼び名で言う隠密ではなかったか、と、いう説がありますが、その一方で、実際に全部回ったわけでもない、という説もあります。
余談ですが、水戸黄門は一度も諸国漫遊したことが無いそうです。 「秋深き隣は何をする人ぞ」
これは、元禄7年9月28日、この夜は芭蕉最後の俳席が畦止亭で開かれ、翌29日も、芝柏亭に場所を移して同様の俳筵が開かれることになっていたが、芭蕉は体調悪く、参加できないと考えて芝柏亭に書き送った句。
実質、芭蕉の最後の句、なのだそうです。
一般に絶句とされている、「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」という句よりも、ずっと近しい感じがします。
これは、元禄7年9月28日、この夜は芭蕉最後の俳席が畦止亭で開かれ、翌29日も、芝柏亭に場所を移して同様の俳筵が開かれることになっていたが、芭蕉は体調悪く、参加できないと考えて芝柏亭に書き送った句。
実質、芭蕉の最後の句、なのだそうです。
一般に絶句とされている、「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」という句よりも、ずっと近しい感じがします。
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高校生の時に
母の幼馴染みが
松尾蕉の足跡についての本を
出版したといって
買ってきてくれたことがあった
その本を高校に持って行き
休み時間に読んでいると
国語の担当教師が見せて欲しいと言われて
そのまま日が過ぎていき
返して貰えないのではと思ったことが有った
実際は当時私達より二学年上の生徒の
授業のための教本として使っていたそうで
その時初めて
その本が自費出版だと知った
その頃から
同人誌などの自費出版を薦める出版社が
多く出現し
自分の来し方について最低百冊で何十万とか
そんな気軽な内容だったので
いろんな人が自分の生い立ちの記を書かれ
最低部数をはくために
知り合いの知り合いの
その先にまで配布するという
見たことも無い方のお身内の苦労話とか
自慢話をされても
会話でさえ面白くも無いのに、と
内心思っていたが、頂いたその本を
処分するとなると
当時シュレッダーも無い時代
焼却炉で燃やすことさえ気が引けて
しかし、芭蕉の本のように
出版社に問い合わせが多くいけば
出版社からの本になり
その芭蕉の本もお店に並ぶようになったので
あの国語の先生の力も少しはあるのかなと
そう思った
私は人生において
三冊ほどの小説を書いた
一冊は高校時代演劇部にいた友人が
芝居に使いたいというので
卒業の記念にあげた
二冊目は友人の間で回し読みして貰って
出版社に持ち込もうか、三十年くらい
悩み中だ
そして三冊目は
最後の関係者がおられる間
我が身が危なくなりそうなので
パソコンの中に保管してある
物を書いてお金を頂いたのは
ある人の生き様に対する感想で
一冊の本の数ページの代金として
高二の時に三千円
音楽会社から歌のヒントになるための
作詞を頼まれて、五千円
1960年代の百円は今の価値でいうと
12倍になるそうだから
単純に計算して、三千円は三万六千
五千円は六万ということだろうか
あともう一つ、出版社にいた頃
自分の手柄ではないが、某出版社の方の
凡ミスで、私の会社がスクープ大賞をとり
その褒美として臨時ボーナスを二万円
頂いたので
トータルにすると、物書きとしては
現在価格として三十三万六千円の収入と
約二年間の給与とボーナスを得たことになる
伯母や知人に頼まれて同人誌に寄せた
幾つかの文章には何の対価も発生しておらず
伯母の頼みで書いた文章に関しては
その主宰からお礼の言葉さえ貰っていない
文学少女という流れでの私の人生は
「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」
そのもののような気がしている
仕事でパソコンに携わり
小さなサイトで数行のブログを書き始め
Exciteやgoo YAHOO、そしてamebaと
多くの場所に言葉を綴って来て
気が付けば四十年近い歳月が流れて
その割には進歩の無い文章力を
自覚させられている自分がいる
しぐれ忌を機に
少し本気で俳句を詠んでみようという思いは
多分に有るのだけど