過ち | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

 2002/09/01 (Sun)YAHOOブログから 

 

 

世の中には随分、我侭な方がいるようだ。

 

その日、いつものお店の、いつもの席で

いつもの子羊のステーキを食したくなった

新聞社の社長さんは

いつものように

モンテカルロのお店に行くと

いつもの席に、いつものお客ではない

ご本人にとっては

実に目障り極まりないお客の一団が

お酒を召してはしゃいでいた。

 

腹が立った社長さん

その店のオーナーのところへ行き

言い値でその店を買うとのたまわった。

 

そして、実際、店を買い取り

お客を追い出すと

いつもの席で、いつもの料理を堪能した。

 

帰りがけに、チーフを呼び

その店をやらないか、と言った。

 

但し

社長である自分が来る席は

必ず空けておくこと。

 

それから、その店はチーフの名を取って

ヒロの店として、世界中に有名になった。

 

件の社長さんは、

私は数々の過ちを犯してきたが

「過ちを犯したことなど一度もない」

と断言する過ちを犯したことなど

一度もない。

 

と言われる。

 

ニューヨークのヘラルドトリビューン社

社長

ジェームズ・ゴードン・ベネットは

1759年の今日、生まれた。

 

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たぶん、ヘラルドトリビューンを知らなくても

ニューヨークタイムズを知る人は多くいると思う

 

彼の名声は今でも健在なようで

数年前にも彼を題材にした映画

グレイテスト・ショーマンという題名で

ヒュー・ジャックマンにより

上映されていたと思う

 

私が2002年にブログを書いた頃は

世の中の言う就職氷河期

 

その頃の経営陣はその状況をどう打開するか

また、バブル期に働き盛りだった人は

初老の差し掛かり、心の片隅で死生観を

常に感じるようになり、ネット上で、成功者の言葉やエピソードに活路を見出そうとする

そんな人が多くいた

 

その中で、ゴードンの才能が多岐なことが

特に持ち上げられていた

 

当時、ブログの、レストランヒロについて

詳しい内容を書き留めていたが、今どこを探しても、見つからない

 

日本の、東京の中心地に、ヒロという

イタリアンのお店があるが、それが関連していたかも、悩ましい

 

そんな彼のことを最近あるInstagramで

思いだした

 

数日前にお勧めで流れて来た

今年の初め、平野紫耀君が

ファッションショーの会場で

インタビューを受けていたその相手

 

ここの母体は、今

ニューヨークタイムズと提携している

 

嘗てのこの新聞社からは想像の付かない

美についてのサイト

 

しかし、実際は

夫がフランス郵船で旅に出かけた

1960年代には

日本のファッション界の草分けである人達の

話を取り上げている訳で

世の中の動向に

敏感に反応しているのかもしれない

 

そんな斬新的なこの会社が犯した過ちは

嘗て国民を戦争の道に煽り立てた事

 

会社の体質がそれを反省しているかとうかは

分からないけれど

 

モノを読む自由の世界に

生きている人は

付和雷同的な言葉に惑わされず

自分心の考えで物事を見て欲しいと思う

 

気に入らない席、と言えば

横浜の銀行の頭取は朝一番で鎌倉カントリーに行き、第一打が気に入らないと、横濱カントリーに移動して、再び第一打を放つという

都市伝説のような話が有った

 

ある時、夫が鎌倉カントリーで見かけて

その方の一打が思い切りコースを外れる

という

千載一遇のような

チャンスに巡り合ったそうだが

特に気にされることもなく

そのままスタートして行かれたとか

 

有名な人は何故か尋常でない噂が

武勇伝のように語られるので

ゴートンの、ヒロというお話も実際はどうであったか

 

私は数々の過ちを犯してきたが

「過ちを犯したことなど一度もない」

と断言する過ちを犯したことなど

一度もない。

 

というのが答えのような気もする

 

そして

平野紫耀君のことを取材していた

新聞社の同列のテレビ局は

アメリカで活躍しているミュージシャンとも契約しているので

思わず、もしかしたら、と

思ってしまったが

 

私の考えも早計なのかもしれない

 

いずれにしても

何かの事柄に夢を以て進む人たちには

 

結果的な過ちや他人の創り出す言葉や

失敗に怯えるのではなく

 

改めることも

また

過ちを過ちとしないほどの功績を残すということも可能であるのだから

大胆に

そして大いに人生を楽しんで欲しいと思う

 

結果、夫のように

自身の人生を賭けた夢を

実現させたことを忘れたとしても

 

その過程で感銘を受けた人の心には

いつまでも刻まれていることだと思う