罪と罰 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

 2003/08/03 (Sun)YAHOOブログから


と言っても

ドストエフスキー・フィヨードル・ミハイロヴィチの

小説ではない。

つい最近、広島の千羽鶴を燃やしてしまった青年のことだ。

彼が通っていた大学の学長が謝罪し

そして、大学で謝罪の鶴を折る、と言われたそうだ。

そんなものなのかなあと思った。

そして、本人はそれをどのように捉えているのだろうと思った。

先日、長崎で、幼い子どもを十二歳の少年が殺害した事件で

匿名の中学の教師の手紙が話題になった。

しかし、今回はれっきとした成人の起こした事件だ。

人格形成を大学に求める人など、いないだろうと思う。

法治国家の中で、法に抗ったことを行えば

罪はその重さの度合いに関係なく、罪だ。

犯したものには、法によって、それなりの罰が与えられる。

そして、その法律の上で罰せられれば

社会的責任は果たしたことになるだろう。

しかし、あの鶴を折ったのは法ではなく

一つの思いを持った多くの人々だ。

このような、公共物を破損したときは

本人に修復させればよいと思うのは、短絡的発想だろうか。

14万羽の鶴を折るのは大変だと思う。

それに、折り紙代も馬鹿にならないだろう。

しかし、それを燃やしたのはその本人である。

そして、本人が自分一人で仕上げることが出来なかったら

社会に対してお願いするという形を

取らせるべきではないだろうか。

どのような形であっても

当事者に、考えさせる場所を与えない方が罪が大きいように

私には思える。

 

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息子を育てている頃、会社の仕事をして

子育ても完璧にという、変な感情から

息子の服装や持ち物に着いて

全て前日に揃え

朝、下着を着替えさせて、靴下をはかせて

と、術での身支度をしてやり

カバンの中も全て確認して

 

最初の家庭訪問の時に、担任から

お母さんは過保護ですね

過保護は最大の放任ということを

自覚していますか、と言われて

目が覚めた

 

今なら、過保護という虐待ということになると思う

 

我が子の自主性の芽を全て摘んでいたのだから

 

その上自己本位な達成感

 

私は子どもに、色というものに対して

男女の区別をして欲しく無くて

幼い頃から

いろいろな色の服を着せていた

 

幸いなことに

二十歳過ぎに海外を渡り歩いた夫は

子どもの着る服について

一切拘ることもなく、私の自由に出来た

 

そのお陰か

大人になっても、赤いエナメルのコートや

今風に言えば、赤と黒のダミエ柄の

私の服を着て行ったり

 

立ち上がったグリズリーと化すまでは

その姿が自慢でもあったのだが、、

 

そして、幼い頃から、父親の仕事の関係で

大人の人と対峙することが多く

電車やレストランで騒ぐということも無かった

 

それなのに、子育ても中盤に差し掛かる頃

私は物凄くショックな話を

精神科医に聞かされた

 

街とか教室とか

食堂とか電車の中とかで騒いで

親に叱られている子は

将来、有望な人間になると

 

至極当たり前の話だが

子どもの感性は周りの大人に寄って育つ

というのだ

 

子どもの頃おとなしくて、親にも周りの人にも

叱られたことの無い子が

大きくなってから、年齢を理由に叱られると

 

叱られたということにばかりに気持ちが行き

人の言葉を聞く耳を持たない

 

成程、と思いながら、若干腑に落ちなかったが

よく考えたら、失敗という経験をして

それを認めて改善出来る子は

たとえまたその失敗を繰り返したとしても

確かに成長するにつれて人格も成長していく

ということを、時間経過で学んだ

 

野菜と子どもはかけごえが大事

などという

昭和の駄洒落も満更的を外れていないというか

 

騒ぐことが問題なのではなく

騒いで、注意を受けた時

周りに迷惑だからという言葉ではなく

自分自身が周りに迷惑をかけていることを

自覚出来るかどうかが問題なのだと

 

それは叱る側の問題でもあり

 

騒いでいるのは幼いから

とか、今だけとか

そんなふうに容認していると

将来に渡っての

成長の場を失くしていることになる

 

ということなのだろう

 

そういう意味でも

千羽鶴を燃やしてしまった大学生は

自らの反省の場所を奪われたために

人格を正す機会をを失ってしまったことになるのだろう

 

犯罪は犯罪であり

他の誰かがどのように償っても

その犯罪が消えることは無い

 

罪に似合った罰

それは誰よりも、当の本人にとって

一番大切な事

 

当時の精神科の先生は

そんなことを言いたかったのだろう

 

叱ってくれる人がいることが有難いのだと

 

 

もうすぐ原爆投下された日が巡って来る