2003/07/29 (Tue) 横濱俳句倶楽部ほのぼのとから
夏がち近づくと、買いたくなるのが、トマト、茄子、胡瓜の苗。
スーパーの入り口や、お花屋さんの店先の黒いポットの中に植えられた青々とした苗を見ただけで、既に豊作を頭に描いているのは、私だけかな、と思ったが、友人のご主人を見ていると、強ちそうでもないようだと思える。
件の紳士、庭に、二㍍ほどの畝を五つほど作り、野菜の苗を植えた時点で、大工さんに頼んで、肥料を入れたり、工具をしまったり、そして、作物を貯蔵するための倉庫を建てたのだそうだ。
先日、その畑に視察に行くと、しっかり開いたレタスと、既に坊主が出来上がった葱が整列していた。
野菜を作る知恵として、いろいろな俚諺がある。
例えば、日向牛蒡に影茄子。実際は出来損ないのことを言うのだが、これで、牛蒡は日向で作ってはいけないことが解る。
冬瓜の花は百に一つ。無駄花が多い。
葱は人影も嫌う。言わずもがな。
蕎麦は黒犬が寝たほど蒔け。発芽し難い。
昔の人たちの知恵には敬服する。
「最近は旬がない」というのは、既に時代遅れのような言葉だが、最近は逆に、旬を味わうことを良しとする時代にもなりつつあるようだ。
やはり、夏野菜は、太陽に照らされたものをそのままもいで食べるのが一番美味しいと思う。
俳句では、トマトは、蕃茄(とまと)、赤茄子。
そして、キャベツは、甘藍、玉菜、牡丹菜。
実際は冬の野菜である、大根は、夏だいこ、葱は、夏葱、刈葱(かりぎ)とする。
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私が子どもの頃
横浜元町と言われる商店街から
トンネル一つ越えた辺りでは
鶏もいて、山羊もいた
天秤棒で二つの桶を担いで横歩きしながら
野菜に肥料を与えているおじいさんもいた
鶏は庭らしい庭もない下町の、我が家でも飼っていて
朝、卵を撮りに行くのが楽しみだった
そしてまた、母の知人の家の畑になる、胡瓜やトマトを
手で捥いで、丸かじりするのが好きだった
テレビから
もはや戦後ではないという言葉が聞こえるころになると
畑は住宅に変わり、移り住んだ人の苦情で
早朝に鳴く雄鶏は飼えなくなり
畑の雑草を食べる山羊もお払い箱になった
以来、何年もの間、私は畑で実った野菜を
特にトマトや胡瓜を食べる機会を失くして
がっかりしているところに
福島県人の夫を
インド人から紹介され
縁あって夫の実家に行って
久々に畑で熟れたトマトを口にした
赤く熟れていながら青臭さの残るトマトを口に入れて
その美味しさに感動した、のだが
夫の義兄がトマトを丸かじりする私に
お砂糖は付けないのかと聞いてきた
こんなに甘いのに、何故お砂糖、と思ったが
夫の距離ではトマトは野菜よりも
水菓子に近しい存在だったようだ
そして鶏
私は元町に嘗てあっ鈴音という鶏肉店で
アルバイトをしていて
その時に教えて貰った、手羽先で作る
チューリップという唐揚げが得意で
夫も是非実家に持っていきたいと
クーラーの中に入れて横浜から持って行った
みんなは喜んでくれて、あっという間になくなり
夫の妹がもっと食べたいからというので
手羽先は何処に売っているのかと聞くと
舅が、何羽潰せばいい?と聞いてきた
最初意味が分からなかったが、夫の郷里には
当時はまだブロイラーというものが売られていなかったのだ
鶏肉は最初、卵を産まない雄だけを食用としていたそうで
1964年に初めて食用の養鶏が始まったと
聞いた覚えがある
思い起こせば小学生の頃
戦時中に中国で食べた朝粥が懐かしかったのか
その父に連れられて、謝天記というお店に
早朝にお粥を食べに行くと、自転車の後ろに籠を乗せて
その中に鶏を入れて運んできていた小父さんがいた
そして、近所の家でも、突然鶏がいなくなったと思ったら
その日の夜は鶏鍋だったという、サザエさんのアニメの
実写版のように、肉屋に持ち込んで解体して貰うという
いろんなものが生活の近辺に有ったので
ゴミ箱は家の脇に設えた木箱の中か
小さな青いバケツで
近くの集積所に出すのだが
生ごみというものはほとんどなかった
買い物には手提げの篭を持ち
品物は新聞で作った袋に入れるか
そのまま包んでもらう
豆腐屋さんは売りに来るので入れ物を持って買いに行く
それもその日の分だけ
だから無駄なものは出ない
私が成人して、世の中に
過剰包装という言葉は流行り出した頃
夫の実家では、鶏は一羽単位で買っていた
だからゴミは、畑に埋めて肥料にするか
風呂焚きに使うかで、廃棄することは無い
出来上がった灰さえも
山菜などの灰汁を抜くために使う
最近の暑さを思うと
あの頃の生活に帰れば、もしかすると
改善されるのでは、と思うことが有る
鶏を飼ったり山羊を飼ったり
庭の畑に桶で肥料を撒けは
また違う問題が生まれてきそうだし