お盆 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

■ 2002/07/15 (Mon)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから 

 

中元とは、もともと半年生存の無事を祝い

祖先の霊を供養する日だったそう

正月15日の上元7月15日を中元

10月15日の下元をあわせて

「三元」とする中国の習慣が

日本のお盆「盂蘭盆会」と重なって、

祖先の霊を供養し、

両親に食べ物を送ったのが

所謂お中元に変化して行ったと


盂蘭盆はインドの言葉でウランバーナに由来し

ウランバーナというのは

逆さづりの刑のことらしい。

お釈迦様の弟子の目蓮が、

父は天界にいるのに

母が見えないと、

神通力を持って探したところ、

餓鬼道に落ちて苦しんでいたのだそうだ


それを見て

目蓮はどうしたら母を救えるのか

お釈迦様に尋ねたところ
お釈迦様は「7月15日はお坊さんが

百日の修行を終えて

伝道に出る日だから

その時お坊さんがたにお供養しなさい。

 

と言われたとか。


目蓮のお母さんは

その供養の功徳によって救われたという

この故事に由来し

逆さづりの餓鬼道の苦しみに堕ちないよう、

先祖の霊に供養するという

盂蘭盆が行われるようになったそうだ

そうすると、

バンジージャンプは、

生き地獄になってしまうのだろうか

確かに、怖い

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お盆というと

おおむね旧暦の八月をいうことが多く

盆踊りもまた八月に行われることが多いが

1972年の明治の中頃までは

七月が休みとされていたとか

 

この中のお中日は

丁稚奉公をしている人の一月と、七月の

年に二日の、貴重な休みである

藪入りの日でもあり

 

早朝から眠るまで惜しむ間もなく働き

与えられた布団で眠り、そしてまた朝が来て

 

漸く得られる貴重な一日

新しい着物とお小遣いを貰い、我が家に帰る

 

今の時代のように週休二日、有給休暇、など

恐らく当時の人は知る由も無いだろうが

もし知ったとしたら

夢の世界の出来事だと思うかもしれない

 

平成の生まれの人が昭和を懐古する時は

消費税をいう人を良く見かけるが

消費税の無い1989年までは、今は無い

物品税というものが有った

 

日常に不必要とされる贅沢品や

健康に悪いと思われるもの

 

貴金属や毛皮、車

そして清涼飲料水やファストフードなど

 

車の場合、夫が乗っていたクラウンは30%近い

物品税がかかっていたかと記憶している

 

その車を買うためではないが20代で起業した夫は

八月のお盆の休みに私と結婚した後、

初めての休みは11月の文化の日であり

 

従業員も日曜と盆暮れ以外は休むこともなく

取引先に合わせて早朝や夜間の仕事も有って

 

それは当時の労働者としては当たり前のことであり

 

そしてまた

当時の預金に対する利息の高さをいう人がいるが

預金の利息が高ければ

貸し出しの利息も高い訳で

貸し出しの利息は預金より上回るのも当然で

 

今は廃止の方向にある、約束手形など

期日が半年というのが定番であり

割り引くためには保証協会に加入し

その為に自宅を担保に入れることも必須であり

 

その期日に応じた割引料を支払うことになる

そしてその上、不要な貸し付けをして

その利息も銀行が得る

 

私の会社の場合、個人的に

夫一千万、私五百万の当座貸し越し枠の設定を

手形割引の条件にされた

 

今は消費税という形で、日本で品物を買う全ての人が

対象となっていて、外国から観光に来ている人も

当然支払ってくれるわけで有り

 

丁稚奉公のような過酷な労働は禁止され

中学卒業までの子どもの就労さえ禁止されて

 

車に至っては時には販売促進の為に

消費税分の補助が設定されて

 

仕事をして、代金を受け取ると

支払いは半年先、などという手形も2026年

来年には廃止されるという

 

そして低利息の貸付

不要な商品の抱き合わせの禁止

 

会社に至っては週二日の他、盆暮れの有給休暇

サービス残業や過酷な労働の禁止

 

今の状況を知ると

昭和の時代はなんと過酷だったかとしみじみと思う

 

そしてまた、二度と戻りたいとは思わないが

 

今もあると良いなと思うのは

取引先から送って来られる中元の品を並べて

従業員達と楽しんだクジ引きの時間だろうか

 

くじを引くたびに

一喜一憂する彼らの顔が楽しくて、懐かしい

 

今のように個が基準とされて

いろんなものが可視化されて

いろんなものが制限されているのを見ると

心に静電気が起きて疲れてきそうになる

 

そう言えば都会ともいえないこの街でも

騒音の問題で、この数年町内で盆踊りを見ることも

無くなっていた

 

祭り囃子に至っては

もう、かなり前から聞いてもいない

 

親類や町内会の人が大勢集まった宴席で

酔っ払って踊り出すおじさんやおばさんなど

既に絶滅種でもあり

それを見て大喜びする子ども達の声も絶えた

 

人と人との関わりは

確かに昭和の時代の方が楽しかったかな

 

それはたぶん

生活の中に清濁が存在していたからだと思う

 

水清くして不魚住、かな