変身 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

■ 2002/07/03 (Wed)  

 

中華街の外れにある中学校はとても瀟洒な造りで

一階から三階まで吹き抜けのスロープになっていた。

天井の高いその建物は学校というよりも

何処かの庁舎のような風格でもあった。

何よりも好きだったのは

校庭にある大きなヒマラヤ杉。

夏の暑い日

この木の下で寛ぐのが特に好きだった。

生徒総会のとき,全校生徒が

校庭で大きな輪になって話し合うとき

心なしか、その杉の木も参加しているように思えた。

その生徒総会の真ん中にいる青年は正義感に溢れていた。

生徒会を、先生の管理下から、生徒の下へ。

彼は頑張って主張した。

「子供は褒められれば嬉しいのです」

「でも、責任のある立場に立たなければ、

自分から進んでは何も出来ません」

そう言って、生徒と、先生達を説得していた。

私はそれを新聞の記事にする役割を持っていた。

夕方の教室で記事を作っていると、

文章の校正をしていた彼が

「明日のお昼の放送で読もうと思う」
そう言って一冊の本を読み出した。

それは、カフカの「変身」

謄写版用紙に鉄ペンでガリガリと書き込んでいる私のそばで

彼はそのお話を、誰かに語るように読んでいた。

芋虫になってしまう男。。。

読み終わって

「如何だった?」と聞かれた私の感想は

一言、「薄気味悪い」

彼は、がっかりとした顔で「なんだよう」と笑った。

その彼は、高校三年の卒業の朝

一枚の消印のない葉書を、我が家のポストに入れて

何者かに変身して、世の中から身を隠す人生を選択した。

いつか、彼に、僕の人生、如何だったと思う?と聞かれたら

なんと答えようかな。

今日は変身の作者、カフカの生まれた日だ。

 

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私はこの青年が送って来た一枚の葉書で

その後希望する大学に入れず、自分との思いとは

全く別の道を歩むことになった

 

簡単に言えば、葉書にはある闘争の現場への誘いの文章が

簡潔に綴られていて

 

その後、業界向けとはいえ新聞を発行する会社に勤めて

駅で偶然その人を知る元同級生にあった時

 

貴女は彼の気持ちを分かっていないと言われて

え、っという言葉が素直に出てしまった

 

中学生の時には確かに周りから仲が良いと揶揄われ

お互い、だったらと、山下公園を端から端まで歩くという

所謂デートのまねごとをしたが、それはそれっきりで

その後の彼の誘いは

自身が信じる思想の大会の集まりだった

 

彼の求めていたのは同士で有り、彼女ではない

 

その元同級生は彼女になりたかったのか

同士になりたかったのか聞きそびれたが

その後のクラス会に来ることは一度も無かったので

真意は分からないが

嫉妬されていたのだけは分かった

 

変身の主人公は単なる販売員として暮らしていたのに

ある朝目覚めると

自身の身体が芋虫のようになっていて

いつか目覚めたら、と思いつつ、結末に入っていく

 

今読み返しても、作者の意図がサッパリ分からないのだが

最近YouTubeで中国の短編ドラマを観ていると

途中までは

変身の主人公と同様な理不尽さを強いられるのだが

最終的にその真逆の変身が起きて

主人公は生まれ変わってまで悪を成敗する

 

そうか、この小説を読んで未消化なのは

勧善懲悪というものが存在しないからなのかと

変な納得をした

 

彼女に、貴女には彼の気持ちが分からない

そう言われた日、会社の先輩に誘われて

私は高級そうな内装のお店に出かけた

 

あの人が○○三で、あちらの人は○○さんで

先輩の説明によると、当時文豪と呼ばれた人たち

 

何か造反の雰囲気だったが

後にその人たちの集まりのリーダーにより

内情が変化したという話を先輩から聞かされた

 

その本筋を知ったのは、つい数年前のこと

 

ある芸能のプロダクションを運営する人の夫が

その会の長になり

自身の思うままに形を変えたと

 

その人はある俳人の娘の元夫で

ある人物と同級生

 

そしてその頃からその事務所のタレントは

一般的に日本で一番偉いとされている方の前で

歌を披露していた

 

雑誌の記事なので

どこまでが正しい内容なのかは分からないが

偶然にその会の人達との

食事会の場所に居合わせた自分には

何となく他人事ではないようなそんな気がした

 

そしてその頃の

その事務所のタレントの処遇について

成程、と、妙な納得をした

 

企業のやり方として

自身の伝を最大限に利用することは

別に間違ってはいない

 

そしてその事務所は日本で最大になり

テレビ、雑誌、ラジオ、多くのメディアで

その事務所のタレントを観ない日は無くなった

 

その雑誌には

その事務所のタレントが

メディアで重宝されていたのは

そのタレントを指導する人の手腕で有り

その人はメディアの露出よりも舞台を望んでいたと

そう書かれていた

 

誰でも来ればレッスンに参加させ

自分が認めれば舞台に立たせる

その代金は自腹で

 

だから実際は契約を交わしているタレント以外

どんな人が所属していたかは把握していない

 

会社を経営する人としては完全に失格であり

そのままのやり方で行けばどうだったのか

 

たぶん、今ほどは大きくはならなくても

海外を含めた舞台の上での興行により、

タレント達も海外でより認知されて

全く違う形の事務所になっていたのではと思う

 

それは指導者とされる人が青年時代に

自分が生まれ暮らした家で行ってきた興行の舞台

そのものだったのだろうと思う

 

舞台の上で必要なのは優雅さとコミカルと即興力

 

メディアの中で必要なのは形にはまるタレント

 

その二つがある瞬間から

姉と弟の仲、そして上下関係を大きく乖離させていく

 

私はいみじくもその事務所の変身の瞬間を目撃していた

のかもしれない

 

二人の姉弟がそれぞれに心血を注いだ事務所は

変身の結末と同様な終末を迎えた

 

姉弟は黄泉の世界で

今の様子を

どんなふうに語っているのだろうか

 

人は時にして小さな出会いで

自分の人生そのものを

大きく変身させてしまうことが有るということを

今漸く理解し始めている