■ 2002/07/18 (Thu)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから
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山下公園の、氷川丸の脇から富津へ向かう定期船。
父と母と、娘達と。約一時間の船旅。
船底では千葉へ帰る、担ぎ屋と呼ばれるおばさんたちが、ひと時の休息を取っている。
同じ頃、23歳の青年は
シングルハンドで太平洋に漕ぎ出した。
昭和37年5月12日のことだ。
全行程を、94日間かけて
青年はサンフランシスコの港に着いた。
同、8月12日。
当時パスポートを所持せずに入港した青年は
時の市長の好意によって
密入国による強制送還を免れたそうだ。
その記録映画の主人公を石原裕次郎が演じた映画を
テレビの深夜放送で観た。
昨日は、その裕次郎の命日だった。
そして、今日、40年ぶりに
再度トライした63歳のヨットマンは
再びサンフランシスコの地を踏んだそうだ。
ボクシングを目指したものが
どんなに痛い目にあっても止められないことを
虫に刺されるというそうだが
彼の場合はなんと言うのだろう。
外洋航路の船長であった父が
富津行きの船に乗ると
甲板の上で常に穏やかな笑みを浮かべていたことを思い出した。
ヨットマンのページには
「堀江さん、今朝無事にゴールイン
北緯 37度04分 西経 122度43分
17日午後3時40分(日本時間18日午前7時40分)
堀江さんとMALTS Mermaid3は
サンフランシスコの観光地
フィッシャーマンズ・ワーフに接岸しました。」
…と書かれている。
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横浜の港の見える丘公園の入り口に茶色い建物が有り
東洋通信社という港の信号を取り仕切る会社と思われて
というか、私自身も思っていたのだが
実際は国家公務員用の宿泊施設なのだそうだ
子どもの頃、時折このホテルに
タキシードやドレスを着た人が
入っていくのを見たことが有って
私を含めた子ども達は
何かの組織だと思い込んでいた
何かの組織 ルパン三世のような
子どもの発想とは大概がそんなもので
後で考えると
なんであんなふうに思ったのか不思議になったりするが
それはそれで楽しくもある
中華街の中にオリエンタルホテルという
小さなホテルが有った
いつも扉が閉まっていて
お客さんが止まっている様子もなく
2002/07/18のブログを書いている頃
ネット上でもそのホテルのことが話題になり
実際に泊まりに行った人が報告ブログを書いていたが
その様子は、自分たちが知るホテルとは
全く様相が違っていた
行ったことは無いが、フランスの波止場の安宿
そんな雰囲気だったようだ
フランスの波止場
そう言えば夫もフランスの波止場マルセイユで
数か月過ごしたことが有ったと話していた
その夫にそのホテルの様子を教えると
何となくそんな感じにも思えると話していた
その話を聞きながら、(横浜は) 街ごと旅ですか
という歌を思い出していた
半世紀以上住みながら
知らないことの多い街
寧ろ知らないことの多すぎる街
海を越えてくる人
海を越えていく人
そしてその街に半世紀以上住みながら
その街の半分も知らない住民
ようそろとは
舵を真っすぐに切って直進させる操舵号令のこと
陸の上でさえ良く分からないのに
何の標識もない太平洋の大海原を
堀江さんはたった一人で何を思って
アメリカ大陸を目指したのだろうか
答えなどというものが簡単に出せるなら
人は冒険の旅に出たりはしないと思う
寧ろ答えばないからこそ面白いのだろうと思う
来世では,現世で夫の夢のために奔走した私を
夫が再び見つけて、その時は私の望む旅の
同行をさせるつもりでいるが
男の人に生まれて、視線を相手に冒険するのも
悪くない気がする
その時は、夫よ赦してくれたまえ
そう言えば
当時女性だてらに北極への単独の旅をするべく
それまでの可愛らしい姿から冒険者という顔になられた
和泉雅子さんが九日に亡くなられていたというニュースが
昼間スマホの画面に流れた
そうだ
別に男性に生まれなくても冒険は出来るのだ
それを教えてくださった和泉雅子さん
ありがとう