海の貴婦人 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

■ 2002/06/09 (Sun) 横濱俳句倶楽部ほのぼのとから 

 

久し振りに海に行った。

風は風速十メートル弱

セイリングには少し危険かも知れない。

真っ白な船は帆を下ろし

天までも届きそうなマストは絶え間なく揺れている。

その日、城ヶ島を出た船は

港まであと少し、というところで、

エンジントラブルを起こし、漂流した。

港ではなく、沖へ沖へと流されてゆく。

動力を失った船は、板切れのそれに等しい。

潮に翻弄されて、右へ左にうねる。

船室で子供と過ごすその頭上を、夫達の足音が、絶え間ない。

その時、外に出ませんか

と声があった。

行くと、遠くに帆船が

まるで一つのビルのように大きく聳えていた。

シナーラだ。

シナーラ(海の星)は

1927年にイギリスで作られた元英国王室船。

別名を海の貴婦人という。

天地四方青一色の中を、真っ白な船体が、
同じく真っ白な帆をいっぱいに張って

、ゆっくりと進むさまは、確かに美しい。

二人の子供が同時に声をあげた。「美しいね」

それまで、子供たちが心配で

岸に着くことばかり考えていた自分は

あのシナーラを追って、帆走したくなった。

仲間達もまた同じことを考えていたのだろう

皆、一様に、
波の向こうに消えていく白い船を見送っていた。

気が付くと、風が私たちを港に運んで。

接岸し、船から下りると

誰からともなく、おめでとう、と声があがった。


夕方の涼しい風に吹かれながら、無事に帰れた喜びを思った。

横浜海上救難施設が

アメリカ軍の接収から解放されたのは

1967年の今日のこと。

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一昨日ニホンマルの引退のニュースが流れ

みなとみらいの

桜木町の駅前に停泊している船かと思って

展示の引退なのかと、がっかりしたが

実際は帆船ではなく、観光客を乗せるクルーズ船だとか

 

来年六月に最後の航行を終えて

35年の歴史に終止符を打つと

市の観光サイトに書かれていた

 

港に船

 

その船に国賓級の来客があると、私が小学生の頃まで

たぶん、海軍の鎮守が有った野毛の皇大神宮の境内だと

思うが、そこから空砲が撃たれ

父はその空砲の数でその日の来客の階級を

嬉しそうに話していた

 

その時は21砲

皇太子級の方が見える、と

 

その後ニュースで

当時トルコの皇太子がお見えになったと告げて

 

喜怒哀楽を表に出さず、気持ちの読めない父が

珍しく微笑んでいたのを思い出す

 

そしてその後、本で

航海の途中で亡くなった方は

海に、水葬という形で葬られて

その際も空砲が撃たれて、その数で階級が分かり

周りの船からもその階級に見合う弔意の砲が撃たれる

ということを知った

 

残念なことに私が空砲を聞いたのはその太子の来日の時の

空砲だけで、後は記憶にない

 

その船が付く桟橋のある横浜港は

その昔、日本の開国を求めてペリーが来日したことに

始まる

 

横浜海上救難施設については、今海上保安庁のある

場所に建っていて、戦中迄海軍の管轄下にあったようで

何時設営されたかとか

詳しい内容を見つけることは出来なかった

 

今は海で事故に遭った時は118番に電話をすると

助けてくれるかもしれない

 

私の義兄は10年ほど前に手作りのヨットでハワイを目指し

外洋に出てすぐマストが折れて

海上保安庁に助けて貰ったと新聞に載っていたから

外洋に出でも助けてくれるのかもしれない

 

海の貴婦人と言われたシナーラは1927年に

イギリスで作られて

 

日本で唯一のレストア、船の復元作業を

11の国々からの技術者ゐ召喚して終えて

三浦のシーボニアに停泊しているとか

 

一生に一度は行ってみたい観光地という言葉があるが

 

残りの人生でもう一度

全ての帆を張ったシナーラが

遠い青一色の中に現れる巨大な城のような帆を

富士を背に三浦の海を走る姿を

 

帆走するヨットの上から見てみたいと思う

 

そして願わくば水葬は無理だろうから

帆船によって大海原に散骨して貰えたらと

夫と私は子ども達に頼んである