団塊の世代に生まれて(家なき少女) | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

ドイツを旅した夫はデンマークからスエーデン、ノルウェー

そしてオランダへと歩いて、ベルギーからフランスに入ったということになる

 

ドイツがベルリンの壁により分断されたのは1961年のことで有り

また1972年には東西ドイツ基本条約で西側から

東側のドイツに入ることは出来たそうだが

夫が旅した頃はどうだったのか分からない

 

ただ、夫はそのあたりを鮮明に覚えてはおらず

食べ物がおいしいだろうということで海側を歩いたという

 

その時の経験からか、ムール貝や牡蠣、そしてキャビアなどを好んで食べていた

 

このキャビアはチョウザメの卵で、寒い海の食べ物だと思っていたが

物の本によると、カスピ海や黒海などで獲れたチョウザメの卵として

紀元前にはイラン地方の古代ペルシャ人に依って食されていたのだとか

 

となると長江や日本の養殖場で育てているのもあながち間違いのだろうと思うが

夫がモンゴルから買ってきたロシア産のキャビアの粒の大きさや

値段の高さを思うと

やはりチョウザメは冷たい海で育てたほうが良いと思う

 

因みにキャビアな炊き立てのご飯で食べるのが一番美味しいと思う

 

夫が後にテレビで見て

その旅に懐かしさを覚えていたペリーヌ物語は

スイスから直接フランスに入る為にアルプス越えのショートカットをして

母親が客死してしまうのだが

 

このお話の原題の「家なき少女」は日本の小説家にも翻訳され

菊池寛や坪井栄、吉屋信子、西城八十も訳しているので

機会が有れば全て読んでみたいと思いながら、かなりの年数が経ってしまった

 

特に壷井栄の「港の少女」という題名には興味が有り

 

と、港の少女で検索すると、YouTubeに壷井栄の港の少女の朗読を見つけたが

旅の要素は全く見当たらなかった

 

日本の場合、幾つもの国境を越えてということも無く

道を塞ぐアルプスほどの山も無く

昭和の初めの頃にヨーロッパの国々を想像しろというのが無理なのかもしれない

 

兎にも角にも、夫は漸くフランスの地に着いた、と