春 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

道は青砥の山ぞいに
金沢区へ入って行った。
午後の冬空を煩瑣(はんさ)な碍子(がいし)と
電線の模様で区切る
発電所の前をとおって、
富岡隧道(トンネル)をくぐり抜けると

これは三島由紀夫の『午後の曳航』の書き出し

曳航とは自力で航行出来ない船などをロープで繋いで目的地に運ぶこと

その昔、横浜の山下橋の先には材木を保管する貯木場あり、海外から仕入れた材木を本船から下ろして筏にして貯木場に運んだ
南方の国から仕入れたラワンはベニヤ板として使われるが、木の中には南方の虫が潜んでいるので、その虫を退治するために潮に浸けておくと教えられた

海に浮かぶ海草の枝などの下に小魚が群れるように、貯木場の丸太の下にも魚が群れていて、近くのおじいさんは森鴎外の小説の題名になった底の浅い高瀬舟で鰻漁をしたりしていた

当時の釣り船も同様な船だったが、鰻漁をするおじいさんの船は一段と小さく

夕暮れに仕掛けた竹のずを早朝に上げにいき、獲れた鰻を船の中に放す

岸壁からその様子を見ていると、鰻が掛かった時とそうでない時の様子が良く分かる

心なしか急ぎで桟橋に着いたおじいさんに、今日はいっぱい獲れた?と聞くと
おう、といい、玄関前で鰻をさばいて、キモを、当時体調の優れない私の母に持っていくようにと、盃に入れてくれる

この話を友人にしたら、友人が妊娠した時、友人の父親が日本橋の近くの川から鮒を獲ってきて、そのキモを飲むようにいってくれたのだとか

同じようにお猪口に入れられたキモを友人はどうしても飲めず、そっと捨てたのだそうだが、少しして父親が血相を変えて、あれは肝ではなかったようだと言って来たとか
物事に頓着しない友人の唯一の恐怖体験だったらしい

午後の曳航の、富岡隧道の先には嘗て鄙びた漁村があり、御簾を立てて海苔を作っていた

小さな入り江の浜に海苔が育つ訳はなく、おそらく磯の岩海苔で作っていたのだと思う
見るからに無骨な厚みだった

秋の終わり頃から始まる海苔を作る御簾の列は四月頃に終わりを向かえる

日々に新しくなるみなとみらいの街を見ながら、遠い昔の磯の香りが懐かしくなる

そう、海にも春が来たのだ