団塊の世代と言われる約800万の中の一人の男が夢を見てその夢を叶えた話(戦災孤児) | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

夫が株式会社を興したときの共同経営者はこの人を知る銀行の方によると

確かに戦災孤児で奥さんも共に教会で育ったとのことでした。

 

私はこの人に関わったことで今も後悔していることが有ります。

それはこの人をもっと調べればよかったということもそうですが

この人を介して仕事に来た男性を、保険証の有無を確認したことで

二度と会社にこさせなくしてしまったことです。

 

共同経営者の話ですから

もしかすると別人の話を当て嵌めたのかもしれませんが

その男性は戦時中中国にいたのだとか。

戦局が厳しくなると、父親は戦争に駆り出され

その時10歳のその人は母親と妹と三人で日本に帰る列に加わったそうです。

 

途中母親が熱を出し、亡くなってしまうと列の大人が河に流そうとしたので

いつか迎えに来られるようにと

河の近くの柔らかい土を掘って埋めて来たそうです。

 

母親を埋めていると妹は女の子だから中国人に拾って貰えと

大人に言われ、その人は川にある大きな石を拾い、叩き割り

その鋭利な先で妹の髪を切ったと言っていたとか。

鋭利と言っても石ですから簡単に切れる訳もなく

前髪を切ろうとすると血が溢れて

それでも妹は声を出さずに堪えていたと。

髪を切る様子を見ていた大人は仕方なく二人を日本に連れて帰ってくれた。

そして船が港に着くと、軍服を着た男の人が待っていた。

その男性はとっさに妹を連れてそこから逃げ出した。

だから国籍は無いんですよ。と。

いったい彼はどんなふうに生きてきたのか。

 

日中国交回復により残留孤児が帰国し始めた頃

無国籍のまま日本で暮らす人のニュースが流れましたが

どれも彼ではありませんでした。

 

日本のどこかに国籍のないままに妹と二人で隠れるように生きている人がいる

あの時私が先にあの男性のことを聞いておけば

保険の提出について事務的にではなく、他に聞くことは出来なかったのか

今でも思います。

 

その数年後、野坂昭如さんがメルマガを始められて

戦争で一番犠牲になったのは

反抗期の男の子だというようなことを書かれていて

本当にそうだなあと、そう思いました。

あの男性がもう少し幼ければ、もう少し大人になっていれば

共同経営者のように教会で暮らすという選択も出来たかも知れない、と。

 

私は以前、知人に頼まれて、友人とお母さんが満州から帰国した様子を

メルマガに載せたことが有ります。

友人は薄茶の髪に茶色い目をして、姉妹の誰にも似ていないうえに

父親の遺産相続を受けることが出来なかったと話していました。

 

戦争というものは女や子どもをより不幸にすると、そう思います。

 

中学時代 後に母と女教師の会の神奈川県の会長になった

校長先生が

もし再び日本が戦争を起こしそうになったら、女が協力して

反対の声を上げなさい。

何と言われようと拒絶しなさいと話していたのを思い出します。