有った。
それは、伯父が私の為に
東京松坂屋で誂えてくれた
ランドセルに起因する
私は妹と共に、この伯母夫妻の家で
暫く暮らしたことがある
伯父は、自分の娘がすでに成長し
物珍しかったのか、
たいそう可愛がってくれ
毎朝のおめざに、妹は苺、
私には蜜柑のドロップを枕元に
置いてくれた
その続きで、特別に本皮のランドセルを
下さった。
しかし、私はそれが元で体を壊し
肋膜、今で言う結核になりかけ
当時5%の生存率と言われた敗血症から
骨髄炎を併発し、2年近く
警友病院に入院することに
なってしまった。
当時の薬は保険が効いても月3万
年表に依ると、給与が10万ほどの時
伯父は責任を感じたのだろう
そのお金を全て出してくれたそうだ
入院するとなれば、薬だけでなく
父にもかなりの負担を強いたと思うが
幼い頃父と離れ、
同居して数カ月で入院し、
結局父が亡くなるまで、
一度も親子としての会話をしたことの
無い娘のために頑張ってくれた父には
感謝しか無い
一方で、伯母夫婦、特に伯母には
大人になってその話を聞いてからは
どんな申し越しにも応えなければと
思っていた。
続く