娘の所用に付き合って、岩手県へ二泊三日の旅に行きました。
所要以外は、遠野と平泉中尊寺に行くという、雑駁な計画での在来線の旅です。
初日は所要のある娘と私は別行動です。
特に目的もないのでホテルの前の開運橋を渡って、商店街を散歩したり、宝籤神社でロト6を買ってみたり、
でんでんバスで市内観光をしたり。
翌日娘が銀河鉄道に乗りたいというので、盛岡駅から滝沢まで行くことに。
滝沢駅に着いたところで、駅の近辺はちょっと郊外の住宅地とほとんど変わりなく。
次の電車で折り返して盛岡に戻り、その日投宿する花巻に向かいました。
御宿玉川という、とっても年季の入った旅館に着くと、藤城清二氏の作品展が行われているというので
早速出かけていきました。旅館の方の、十二、三分という言葉とともに乗ったタクシーが、
本当に十二、三分で着くのだろうか、と思わせるような勢いで、延々と走り続け、
着いた先は、あたりに駅も人家もないような場所で。
呼べばタクシーが来ます、というので、安心ではあったのですが、帰りは偶然バス停を見つけ、
そしてまた偶然、あと数分でそのバスがやってくることがわかり、図らずも花巻市内を観光しながら
旅館に戻ることになり。
そのおかげで市内のベンチには銀河鉄道やリスたちの飾りがあることを知り。
翌朝、花巻駅から遠野へ向かい、街を散策し、朝食を食べ、再び電車で平泉を目指し。
車窓から風景を眺めているうちに、ずっと昔、車でこの地を走り抜けたことを思い出しました。
東北道を滝沢まで行き、小岩井牧場で牛乳を飲んで、つなぎ温泉を抜けて、松島、そして宮古、
まだ舗装されてない道路を陸中へと向かったことが懐かしく思い出されました。
その頃、宮沢賢治の生家は木造で、ごく普通の家並みの一角にあって、賢治の縁のお年寄りの女性が
切符を売っていたように思いましたが、今パンフレットを見ると、宮沢賢治記念館、という立派な建物は
あっても、あの当時の家は見当たりません。
遠野から再び花巻へ戻り、平泉へ向かう景色は一面刈り取られた田んぼで、その中に、
稲が杭掛けにされて累々と並んでいる様は
嘗て母が中国で発掘されている最中に足場をかけた上から写してきた兵馬俑に似ていて、
とても不思議な感じがしました。
NPOの田んぼ法人によると、ほんにょ(穂仁王)という干し方なのだとか。
最終目的地の世界文化遺産の平泉中尊寺は、中尊寺も宛ら、町中が歴史ある風情で良かったのですが、
ロッカーの所在を聞いた私に対して、駅員の、冗談なのか本気なのか分からない、あるはずだけどなあ、という、
人を馬鹿にしたような返答にはがっかりしました。
帰りは一ノ関から新幹線で東京へ、そして横浜から地下鉄に乗り、
数分間隔でやってくる電車を見ながら、日本は広いんだなあ、と、改めて思った次第です。
ホテルの窓から望む夕焼け空

盛岡市内を巡回するでんでんむしというバス

盛岡駅前で見かけた岩手めんこいテレビの人

確かに。
