何年か前、環状二号線を抜けて新横浜の方に向かうと右側に恐竜が見えた。
全部で55頭いたのだそうだけど、持ち主の都合でどこかに身売りしてしまったとか。
今日は、1923年(大正12年)に、アメリカの動物学者ロイ・チャップマン・アンドルーズが
ゴビ砂漠へ向けて北京を出発した日。
そして、この日から五年間で砂漠の中に恐竜の卵25個を見つけ出し、そのことによって、
恐竜の研究は大いに進んだ。
と、いうことで、今日は恐竜の日なのだそうです。
大正12年とは、9月1日に関東大震災のあった年。
宮沢賢治は、この歳に27歳になり、童話原稿を「婦人画報」と月間絵本「コドモノクニ」に持っていったのだが、
断られる。
そして、その翌年注文の多い店という童話は、自費出版したのだとか。
結局、彼が生涯で受け取った原稿料は、雪渡り、という代で書かれた童話の代金、5円だけだったという。
賢治は、童話を婦人画報に持ち込んだ10年後、37歳で亡くなる。
しかし、その37年の生涯で書いた文字は膨大なもの。
その上、彼の哲学は、今も、延々と、生きる人に影響を与えている。
地球の歴史で、恐竜が活動していたのは、どのくらいの年月だったのだろう。
そして、何故、突然絶えたのだろうか。
賢治の残した文章と、恐竜の残した卵。
どちらも、本当は教えてもらえないが、それでも、何か、を感じさせてくれる。
賢治は、春と修羅の冒頭にこのように書いている。
『私は、万象を変化させる永劫の根元的力によって明滅する有限な照明である。』
人間も、地球の自転の流れの中で生息している。
全て、自然の流れの中で生き、そして死に、時には絶え、時には生み出されていくのだろう。
そして、その瞬間は常に訪れている。
そう思うと、命のある時間を大切にして、人生を楽しみたいと思う。
滅多に出来ない経験が出来そうな気がするから。