なのに、原発のニュースには、ウンザリさせられてしまう。
夫の郷里は、飯館村の隣町。
今は義兄が義父と二人で暮らしている。
何十キロも離れた、原発には無縁と思っていたが、いろいろと弊害があるとか。
毎日どころか、絶え間ない、震度4や5の余震に重ねた原発の問題にさぞや辟易しているだろうと、
少し離れたところに住む義妹に電話したら、
義兄は畑を耕して、野菜を作っているとか。
横浜にいて、テレビや携帯の警報ブザーに怯えている私は自分が情けないと思った。
地震に慣れてしまうのは良くないことだけど、負けてしまうのはもっと良くないこと。
それでも、一日に何度も揺れると、治まっても、まだ揺れているような、所謂船酔いをした気分になる。
今日、そういえば、と思い出したのは、幼い頃、釣り船店を営んでいる、母の幼馴染のおじさんから
教えてもらった、船酔いの酔い止め法。
左の手首を、うっ血しない程度にハンカチなどできつめに縛ること。
今であれば、リストバンドでもよさそう。
早速試してみると、なんとなく気分が落ち着いた。
なので、義妹にも電話で教えてあげた。
それにしても、原発、限られた容器の中に水をどんどん注入すれば、溢れてくるってのは、
子どもでも判りそうなこと。
その上、何かトラブルがあると、そのたんびに、何かを何処其処に借り歩く始末。
お隣の国から、対応が稚拙という評価を喰らったようだけど、一般の素人が見てもそう思える。
中枢で働いている人たちは、頭脳明晰な集団だとは思うけれど、直前の事ばかりに囚われて、
問題が発生するまで気がつかないように思える。
世の中には、傍目八目という言葉もあるように、少し離れた場所から、大局的に見て先導する、
そんな人がいたらいいなあ、と思う今日この頃。
地震や余震は、自然が相手だから、如何ともし難いけれど、人が作った原発くらい、
一日も早く収束させて欲しいものです。
そんなわけで、毎日鬱々とした日々を送っている東日本にも、桜は咲いて、今日は燕が囀っていました。
