蛇笏忌 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

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今日は蛇笏忌、飯田蛇笏の亡くなった日。

中学の授業で習った句。

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 

そして
 
芋の露連山影を正しうす

この句の情景を述べよ、という授業があって。

そのとき、私は窓の外を見た覚えがあります。

窓の外。

私の通っていた中学校は、中華街の真ん中、いえ、外れ。

隣は、病院と、高校。
 
後ろと前は、道路。

校庭側の道路は電車道であり、その向こうの、川を挟んだ先には省線が走っていて。

どの窓から見ても、山などは見えない。
 
教室の窓から見えるのは、校庭と、校庭の周りに植えられている木。

ハイジだったら病になるところですけど、横浜育ちの私はその木を見ながら、連山という言葉にすごく惹かれたことを思い出します。


 
芋の葉に宿った朝露が、遠い連山を映している。

何処か違う世界のことのように思えたものです。
 
思えば、中学時代の三年間、何故か窓の外を眺めるのが好きだったことも思い出しました。

何の変哲も無い窓からの眺めなのだけれど、そこに、未知の世界が広がっているようにも思えて。

窓から外を見る、そんな単純なことを、時間の許す限り続けていました。

中学時代の三年間と、今の歳になっての三年間。

時は同じ間隔で刻まれているのに、今の時間は、途方も無く早く過ぎているように思えます。

私は、いつの間に、ゆっくり窓の外を眺めて時を送ることをやめてしまったのか。

蛇笏も同様に思ったようで、ある時、東京の生活を捨て、故郷の、山梨県東八代郡境川村を、山廬(さんろ)と称して、帰って行ったそうです。

山廬とは、山の庵のこと。

今日は、その名の句集から、山廬忌ともいいます。
 
因みに、蛇笏の俳号は、小説を書いていた頃のペンネーム、白蛇幻骨から来ているそうで、
 
白蛇幻骨とは、首尾一貫骨が無い つまり、詰まらないもの、という意味なのだそうです。
 
二葉亭四迷が、親から、くたばってしまえ、って言われたのを揶揄して付けたのと同じような、自虐的な俳号、ということでしょうか。
 
蛇笏は、我が子のうち一人を病で、二人を戦争で失くすのですけれど、息子、龍太は、父を偲んで
 
蛇笏忌や振つて小菊のしずく切り 
 
と詠んでいます。
 
 俳句で芋とは、里芋のことで、秋の季語になります。
 
元々、日本に古くからあった芋は、山にある山芋と、里で植える里芋で、
 
ジャガイモは馬鈴薯や、サツマイモは甘藷として、どちらも秋の季語になります。
 
 
因みに、くろがねの秋の風鈴鳴りにけり のくろがねは、鉄の、という意味です。
 鉄の風鈴といえば、南部鉄です。
この風鈴は、硝子の風鈴とはまた趣の違う、虫の音のような、チンチンという乾いた音がします。
 
芋の露連山影を正しうす
芋の葉の露とすると、七夕の季語の一つとなります。
 
七歳になった年の、旧暦の七月七日の朝、この葉の露を集めて墨を摺り、文字を書くと上達するという習わしから来ているそうです。