それは、九日の夕方、一本の電話から。
経理会社の担当者であり、姉夫婦の友人から、
十二日に大阪に行くことになったので、予定を十九日に変更して欲しい。
私は、十二日の監査を終えてから一週間、子どもたちと一緒に夫の郷里に行く
予定をしていたので、苛っときた。
何故なら、十二日は先方の都合で設定された予定日であり、
ほぼ年中無休状態の夫の会社の経理事務を執っている私が
年に一度、子どもたちと一緒に過ごせる大切な時間だと
彼は知っている筈なのだ。
何それ。私、十九日にはいないからネ(怒)
いいよ、いなくても。十九日に行くから。社長にそう伝えておいて。
帳簿を付けてる私の存在は無視かい。
ますます腹が立って、そして電話を切って、それでも腹が立っていた。
そのことを、長い間、どれだけ後悔したことでしょう。
彼は、当日予定が出来た同僚の代わりに、
急遽大阪に向かうことになったのだそうです。
その彼は、約束の日、十九日に、奥様によって、死亡確認をされました。
その奥様のお腹には、彼が一日千秋の思いで待ち望んだ赤ちゃんがいました。
その身重の奥様と二人、仲睦まじく、町内の神輿を見送っていた、
と、知人から教えられて、新しい怒りと苛立ちが、私の心を襲いました。
最愛の妻との我が子を抱くことさえ許せないほどの、
いったい彼がどんな悪いことをした?
と、天を怨んでいるある日、
一機の飛行機が明るい夜空の中をゆっくりと飛行し、その中に
多くの笑顔を見つけました。
彼らはもしかして、天の采配で、大いなる神の許に戻されたのかもしれない。
そう思って、夢から覚めました。
そう思えるのは、私が肉親ではないからだと、判っています。
そして、それでも、悲しいものは悲しいです。
その後、小学校の同級生の従妹や、高校時代の同級生の同僚など
多くの人が犠牲になったことを知りました。
三十分以上も、迷走し、その間
犠牲者の皆さんはどれだけの恐怖を感じていたことでしょう。
彼と、ご一緒に御巣鷹山に眠る皆様のご冥福を祈ります。