
正岡子規の「病状六尺」には(によると)「人間はいつ死んでもいいと思うのが悟りだと思っておった。
ところがそれは間違いやった、平気で生きておることが悟りやった、と分かるか。
平気で生きておることは難しい。 死ぬときが来たら死んだらいいんやし平気で生きておれるときは平気で生きておったらいいのや。』(とある)
つい数日前、ヒストリーチャンネルで、104歳になられた、当時の永平寺の禅師のことを報じていた
中で、生きることについて、立松和平さんが問うた言葉に、禅師が答えたものですが、
私の母の従兄弟は、永平寺で修行をしたそうですけど、年齢的に、この禅師と同じ頃、永平寺に
務めていたことになるので、NHKで報じた際にも、とても興味を持ったものでしたが、
今回の放送の、ほんの数日後に、立松和平さんの訃報を聞き、妙な気分になりました。
『平気で生きておることが悟りやった。』簡単だけど、難しい言葉だと思います。
これを書いている背後で、国会中継が流れています。
肝心の内容は耳に入ってこないのですが、
与謝野さんの、言葉は言霊、という言葉が聞こえてきました。
言葉は言霊、とは、成る程なあって思います。
『死ぬときが来たら死んだらいいんやし平気で生きておれるときは平気で生きておったらいいのや』
無理に死ななくたって、人は必ず死ぬことが出来るんだから、生きていられるときは、平気で生きて
いればいい…。
それは、時には、自分自身で自分を許すことも大切だと思う今日この頃です。