富士山 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

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大桟橋に出かけては見たものの、富士山は既に雲に隠れていて。

尤、くっきり見えていても、カメラを忘れて行ってしまったので、今までに写した富士山を

探してみました。


俳句には、富士山 という季語はありません。

富士講 富士詣 富士禅定 富士道者 富士垢離 など、信仰などで富士山に登る表現は

全て夏の季語になります。

富士吉田に聳え立つ富士山は、二つとない、ということで、不二 とも表現します。

また、富士山の美しさを称えて、芙蓉(の峰) とも表現します。

富士山頂で気象予報士として働いていた新田次郎は、その山の美しさと、厳しさを、

『芙蓉の人』と題して、小説にしています。

その富士山に似て、○○富士と呼ばれる山は、北は阿寒富士から、南は薩摩富士まで、

ほぼ全国にあるそうです。

今話題の映画、沈まぬ太陽 の作者、山崎豊子の、大地の子 の中で、主人公陸一心が耳にするのは、

父の故郷の、信濃富士です。


ちょっと恥ずかしい話ですが、今から20年ほど前、久里浜からフェリーに乗り、金谷に着いて、

そこから車で走っているとき、大きな富士山を見て、凄く驚いたことがありました。

まさか海の向こうの富士山が見えるとは、と、思ったのは事実です。


富士山と千葉県といえば、あの葛飾北斎の、富嶽三十六景 神奈川沖波裏の波は、千葉県の彫刻師、

武志伊八郎通称波の伊八という人の欄間を模したものなのだとか。

確かに、港の見える丘から見える海に、あれほど激しい波が襲ってきたら、浦賀水道あたりは大騒ぎに

なりそうです。


因みに、富士山が見える距離は、北は新潟の妙高当たり、西は三重県あたりまでに及ぶのだそうですね。

あと、全くの予断ですけど、日馬富士は、モンゴル出身の力士です。

昔々、帝の求婚を断り、月に帰ったかぐや姫は、帝に不老不死の薬を渡すのですが、残された帝は

虚しくなり、その薬を富士山の火口に身を投げて死んでしまうのですが、遠く、秦の始皇帝にその話が

伝わり、徐福という家来がその薬を探しにやって来て、結局国に帰ることはせず、

遠い日本の地で命果ててしまう、という話を何かの本で読んだことがあります。


徐福は、日本国中に足跡を残し、また、各地でいろいろな業績を残していて、元首相の羽田孜氏などは、

徐福が日本国建国の祖であるといっていたことが有ったように思いますが、定かでありません。

帝の死を知ったかぐや姫は富士山に舞い戻り、帝の傍で自ら果ててしまい、浅間神社に祀られて、

木花咲耶姫になってしまうのだとか。


という訳で、富士山に棚引く煙には、不老不死の力があるということで、

富士山信仰は盛んになっていったのかもしれません。

霊峰といわれると、確かに、富士山には他の山に無い、不思議な魅力が有ります。