
秋に実る果物はたくさんあります。
その代表は、林檎であり、柿 でしょうか。
そして梨や、葡萄、無花果。
西遊記の、孫悟空が食べてしまって、天帝の怒りを買ったのは、天界の観世音菩薩に供える為に
薬草苑で育てられていた、蟠桃の実。
孫悟空はその為に殺されそうになるのですが、不老長寿の力がある蟠桃の実の食べてしまった孫悟空に
敵う者がない、というのが、京劇のあらすじ。
秋になる木の実は、それぞれに滋養があって、朝の果物は金、昼の果物は銀、夕の果物は銅といわれ、
柿にいたっては、赤くなると医者が青くなるなどという諺もあります。
医者はまた、蜜柑が黄色くなっても青くなるのだそうです。
林檎は、希臘神話に、人に永久の生命と幸福を与えてくれる果実、という行があるです。
中国では、年功序列を重んじる言葉として、孔融譲梨、というものがあります。
直訳すれば、孔子の子孫とされる孔融という人が梨を譲ったって内容ですけど、この孔融さん、
未だ四歳にして、兄を敬い弟を思う、尊敬と敬愛を自覚するという、素晴らしい子だったのだそうです。
中国では、関帝廟にしても、媽祖廟にしても、歴史上の人物を祭るということが多く見受けられるのは、
かつて儒教の国であった名残なのでしょうか。
それはそれとして、
秋の収穫として、お店に、葡萄、梨、林檎、そして、柿が並ぶことは吝かでないのですが、同じ台に
無花果が並んでいることには、未だに違和感を抱いてしまいます。
無花果は、かつては、何処の家の庭にも、生垣にも、川っぺりにも、雑草の如く生えていて、
わざわざ買ってまで食べるものでもなかった筈です。
それだけ自然が減ったともいえるんでしょうね。
無花果の英名、Fig-Treeの、Figとは、着物の意なのだそうです。
何故、着物かというと、その昔、アダムとイブが初めて着けた衣類であったから。
無花果の語源は、中国語で、映日果(インジークォ)と表現する音か、らさらに転音した
表現なのだそうです。
俳句では、とうがき、ほろろいし、とされます。