
辰年、辰月、辰日、辰刻に生まれたので、龍之介と、母親によって名づけられたのだが、
その母親が間もなく精神を患ったので、龍之介は母の姉夫婦、芥川家に里子に出され、
その後正式な養子となった、と、書物にありました。
龍之介は14歳という一番多感な時期に母を、その精神病によって入院した病院で亡くしてしまいます。
その所為なのか、彼の作品には、杜子春を始めとして心の奥を見つめる宗教的な作品が多く見られます。
その内容は、やがて、彼が結局自ら命を絶つまでの経過とともに、
彼自身の精神を追い詰めていくような作品になって行きます。
トロッコと、南京の基督。どちらも龍之介の作品。
トロッコは神奈川県の小田原を、南京の基督は中国の南京を背景としています。
その中に共通して出てくるのは、主人公の悔悟。追い詰めるほどの悔悟。
軽便鉄道を敷くためにやって来たトロッコの魅力に惹かれて、工夫と一緒に押し始め、そして、
やがて我が家が途轍もなく遠いところにいってしまったことへの、良平の悔悟。
異国の男に惹かれ、娼婦であった自分を受けとめてくれたその男の妻であると信じていた
信心深い少女が、実はその男には既に妻と子が有ったと知った後の、彼への恋慕の悔悟。
少女はやがて病で脳を冒され、神に抱かれる幻を見る。
そのことを知ったその男の悔悟。
彼は死の寸前に、或阿呆の一生、として、自分自身の生き様を書き綴っています。
そして、その悔悟の集大成は、彼の遺言で終結。
今日はこの、芥川龍之介の友人の、俳人久米正雄が亡くなった日でもあり、久米正雄が作中で作り上げた
言葉から、微苦笑忌 でもあります。
微苦笑とは、久米への弔いの忌でありながら、何処か、常に、生まれ出でたことを悩む龍之介が
浮かべている笑顔のように思えます。
(写真は、アメリカの友人から届いた、アメリカに今生えている土筆です。ペットボトルとの大きさと比べてください)