大倶利伽羅廣光・乱藤四郎特別公開(中鉢美術館)まとめ | 杜の都のすずめのお宿

杜の都のすずめのお宿

お着物,刀剣,武将隊や宮城の魅力などについてのいろいろ。

(2016年9月3日 展示刀剣の一部の解説概要を追記)

 

2016年8月11~14日に中鉢美術館で開催された大倶利伽羅廣光と乱藤四郎の特別公開。
基礎講座を受講しているご縁で、ほんの少しだけですがお手伝いをさせていただきました。
講話を聴いたり、お手伝いさせていただいた中で聞いたお話しをつらつらと。

 

◆澤口氏講話あれこれ
薬師寺で「刀のために何十億もする分析機械を開発したのか」と質問を受けたが、正しくは「刀も」分析できる機械。研究のために分析機械をご自分で開発設計する際、刀の分析もできるように作った。
製薬を中心に、幅広い分野の研究・開発をしている方ならではの発想ですね。
絵画と同じで、人気のある時代・刀匠の作に見せかけたものがつくられることもあるため、それを見抜くためにも活用している。
見た目は似せることができても、使用している鉄を年代測定すれば動かぬ証拠が掴めます。
いつ頃どの地域の山で採れた鉄を使用しているかまでわかるとか。

 

鉄の鎧で武装していた時代から、革製の防具(※)をまとった海外勢力と戦う時代になると、匂い出来の刀では革の表面を滑ってしまうため、のこぎりのようにひっかかりのある沸(にえ)出来の刀が多くなった。
※革の上から魚の脂を染み込ませて乾燥させると酸化した脂が空気の層を両側から包む構造となり、強度が上がる。現在でいうFRP(繊維強化プラスチック)のようなもの。

 

刀はとてもデリケートで、水に濡らした稲藁を斬ったり、数日展示するだけでもダメージを受けるが、それを最小限に抑えるために特殊な薬品を開発した。
「欲しいものがなければ自分で作ってしまおう」という発想!
たくさんの刀剣を手入れするのは大変ですし、研ぎに出してしまえばすり減ってしまうことを考えると、いかにダメージを最小限に抑えるかはとても重要な問題ですね。

 

刀は見れば見るほど目が鍛えられる。
写真や映像で見るだけでは身につかない。
たくさんの美術館、博物館に見に行くだけでなく、自分で刀を一振り持てば一日中でも眺めることができ、目を鍛えてから名刀を見ればより多くの魅力を発見することができる。

 

国宝級の出来の刀でも国宝認定されていないものはたくさんある。
国宝認定する際、鑑定士に見せる必要があったが、所有者が公家だと「たかが政府の小役人に我が家の宝を見せるわけにはいかない」と鑑定を拒否したものも多く、「実際は国宝級」という刀剣が存在する。

 

成分や鍛え方、切る角度などアカデミックな視点でのお話しもたくさんされていましたが、研究者としての視点だけでなく、個人としての視点で印象的だった言葉があります。
大倶利伽羅のお話しの中で「見てると落ち着くんだよなぁ」としみじみおっしゃっていました。
何百年も昔につくられたものが、今なおその美しさと力強さを留めている不思議。
たくさんの人の手を渡り、守られてきたことへの感謝と、これからも伝えていかなければならないという使命も感じられました。
所有者が高齢となり管理がしきれなくなった刀剣を譲り受けたり、盗難にあった刀剣の捜索活動も行っています。

 

◆大倶利伽羅廣光について
見どころが多い刀。いくらでも眺めていられる。
倶利伽羅龍は上を向いているものが多い中、下向きになっている。
普通の日本刀と比べてはるかに硬い。
錆の年代測定をすることですりあげられた時期が推測できる。
特に見事だと思うのは今回展示した際は裏側に隠れていた不動明王側の皆焼(ひたつら)。
大倶利伽羅を超える皆焼は長谷部国重の刀しかないのではないかと思うとのこと。
倶利伽羅龍が彫られている側にも、切っ先の方にその皆焼に近いものが見えます。

 

◆乱藤四郎について
藤四郎の刀の特徴として、刃紋が直刃(まっすぐな刃紋)であることと、刃がとても薄いことがあげられる。
その藤四郎の作の中でも乱藤四郎はその名が表すとおり乱れ刃が美しく、刃が厚い。
藤四郎の作の中でもしっかりと刃が形作られているのは信濃藤四郎。
機会があれば乱藤四郎と信濃藤四郎を並べてみたい。
藤四郎本人もさることながら、その父である吉光も藤四郎を上回る腕を持っていたとみている。

 

◆澤口氏のお人柄について
研究者であり、経営者であり、マルチに才能を発揮しているため、ご本人にとっては普通のことを話しても、聞いている側は「す・・・すごい・・・!」と思ってしまうお方。
それでいて気さくで情にあつい面も持っていらっしゃいます。
激務を支える部下のみなさんはもちろん、お手伝いの私たちのことも労ってくださいました。
スーツを汗びっしょりにしながらも何度も講話をしてくださって「もうやんないよ(笑)」と言いつつもリクエストに応えて講話も展示も延長していただいたりも。
今回の公開も、地元のためにと故郷である大崎市岩出山で開催していただき、おかげさまで政宗公まつりを上回るたくさんの方々が全国から来てくれました。
アプローチの仕方は違えども、中鉢館長と通じる部分も持っていらっしゃるのかなと感じました。

 

【長曽祢虎徹 刀 銘:住東叡山忍岡辺虎入道 江戸前期】
虎徹は古鉄、奥里、興里(おきさと)、虎入道など多くの銘を持つ刀工。
新選組の近藤勇が所持していたものも、当時としても200年前のものとなり、名人の作を手に入れられただろうか。
当時の現代刀で入手しやすい清麿の銘を消したものだったのではとの説もある。
実は現代では清麿の方が評価が高い。
「るろうに剣心」(漫画・アニメ)の志々雄真実が所持していた設定がある。
虎徹は元越前の甲冑師で、50歳頃に刀鍛冶を目指した。

 

【長曽祢虎徹入道興里 刀 金象嵌三つ胴落し 江戸前期】
虎の字がはねていることから「ハネトラ銘」と言われる。
人間の胴を三体重ねて切ったという凄まじい切れ味を山野という切り手が切断した証明の金象嵌入り。

 

【清麿 刀 江戸前期】
江戸の四谷に住み、四谷正宗とも呼ばれた。
丁字交じり、砂流し、金筋、互の目。
秀寿、正行、環といった銘を切り、後に清麿を名乗る。
42歳で自刃。110振以上確認され、約40振を財団が所有。
一般財団法人日本刀剣博物技術研究財団が所有。

 

【大和守安定 脇差 江戸前期】
短い脇差であるにも関わらず、二ツ胴が金象嵌されている。
「寛文六年(1666年)十二月二十六日貮ツ胴切落山野勘十郎久英(花押)」

 

【堀川国広 刀 安土桃山~江戸初期】
戦国時代が終わり、豊臣秀吉の刀狩りにより鉄が豊富となり、製鉄は少なくなった。
後に鉄の需要が増え、大型たたらによる製鉄が始まると鉄の性質が変わった。
均質な鉄が多く出回り、叩いて結合させる鍛接がスムーズとなり地肌がきれいになった。