だらん、としちゃった土曜日。
夕方から友達に会いに。
かれこれ日本から帰ってきてから週一は会ってるなー。
彼女とその二人の娘。
二人ともお腹にいる時から知っているから、その成長は嬉しいものの
会うたびに私
「私。。母親にはなれないなぁ。。。」と思ってしまう。
四歳になる上の子は内弁慶。
二歳になる下の子は行動派。
ただいま反抗期というかヒステリックな状態。
そんな二人がひとたび
だだをこね
泣き叫び
もう大変な有様。
そんな彼女をサポートするのがいつも私の役目になった。
トイレに代わりに連れて行ったり、会計を一緒にしたり。
公園で遊ばせたり、ご飯をあげたり。
(苦ではない)
気がついたらすっかり「他人の子供」ではないかのように行動している私。
今日は子供のジュースを買いに入ったスーパーで非常ボタンやアラームのボタンを鳴らそうとする子供達。
優しくいっても何度もしようとするから、すこし叱った。
でも止めず。
日本語のわからない一緒に乗り合わせたおじいさんに「ボタンは押させちゃいけない」とくどくど注意される私たち。
長女はご飯が終わったにもかかわらず「おなかすいたー」
カップケーキをねだるので「買わないよ!」と言うと、そのパッケージを床に投げつけた。
「ちゃんと返してきなさい!」と叱る私。
長女のお尻を叩いて、カップケーキを返しにいく友達。
不機嫌になった長女はまだお会計を済ませていないバナナを食べようと一房ちぎろうとする。
「やめなさい!」と手を離させると
長女号泣。
これが毎日起こる彼女の日常。
「怒り方も難しくって、怒ってばかりだと子供の行き場がなくなってしまう。
だから父親か母親かどちらかが子供の逃げ場になってあげないとダメなんだよね」
彼女の旦那さんはまったく家事も育児も手伝わず、独身のように振るまう。
仕事が終われば夜遊びに行き、年に何回かは自分の主催するサークルに海外へ。
浮気もしているようだし、最近は昔やっていた音楽活動を再開、平日でも明け方に帰ってきて仕事へ行く。
すべてを一人で、友達も家族も近所にいない一軒家で毎日。
怒る役もなだめる役も彼女はすべてひとりでこなしていく。
今ならわかる親のありがたみ。
そう、今日の私のように私の母もいつも怒っていた。
それが怖くて、私は母に気を使う子供に成長し、母に甘えられない子供になった。
なだめ役のおばあちゃん。
思春期からその愛情を重く感じてしまい、疎ましく思ってしまった。
小さい頃から私はここを早く出たくてしょうがなかった。
二人からはなれた東京時代。
すべてが楽しかった。
家族への連絡は年に2、3回。
自由になれた気がした。
そしてNYへ。
海外ですべてのことを自分の責任ですべてやる。
初めてわかった親のありがたみ。
ようやく私は母ときちんと話せるようになったし、
何度も同じ話をするおばあちゃんの話を聞いてあげられるようになった。
きっと相当大変な思いをして私を育てただろう。
でも私が母を感謝出来始めたのは、私が生まれてから20年以上も後のことだった。
この世で一番大変な職業はお母さん。
そして
見えないところで頑張り続けるお母さん達を、
他人を
自分の見える世界の範囲だけでジャッジすべきではない。
そう、
他人を自分の物差しでジャッジすべきではない。
自分がされたくないように。
そんなことを考えた9.11の夜でした。