NIA’S パフォーマンス終了 | KacmiのSparkly Diary in NEW YORK

KacmiのSparkly Diary in NEW YORK

「自由人」というよりは「宇宙人」!?
Dancer、Singer はたまた Pilates Instructorとして活躍する
Kacmiのキラキラな日常;)

いろんな事を感じ、考えた作品でした。



KacmiのSparkly Dialy in NEW YORK

(パフォーマンス2日目、私好きなように並べました☆)



これ本番の日は何も言われなかったけど、後日クラスおわりに

「あのマネキン最高だったわよ!!KACMIすごいわね!!ありがとう」って言われて

今更!?と思いつつ(w)嬉しかったです。

KacmiのSparkly Dialy in NEW YORK

(これも小瓶に入れました。。涙を入れたもの。。って言ってたけど、これ。。血だし。。)

今回ダンサーとして出れなかったのはとても残念でしたが、

手伝いとして特別に声をかけてもらい、

NIAのWORKに参加できたことは本当に財産になりました。


KacmiのSparkly Dialy in NEW YORK

(ペーパーゾーン。。。人は色んな事をする時に、本当にいろんな種類の「紙」に支配されているなぁ。。。)


今回はダンサー、パフォーマー、バンド、撮影者、
すべて「同じROOTSを持つものたち」と言う感じで、

本当に「血のつながり(家族でなくとも)」を色濃く感じ(内容もそういうものだったし)

そのなかで唯一の「アジア人」で有る私はやっぱり疎外感を感じてしまうこと

多々あったけれど

それでもみな本当に「家族」の様に扱ってくれたこと、嬉しかった。


容赦なく、扱ってきたけどね。。。。  笑


KacmiのSparkly Dialy in NEW YORK


(リンチ事件等で無くなった黒人の人たちの名前、年表の様になってます)

本当にNYだから出来た経験だよなーって思いました。


KacmiのSparkly Dialy in NEW YORK


(黒人差別の資料ゾーン。パフォーマンスでも台の上で奴隷商人のアクトをやったりして、本当に要な場所でした)

KacmiのSparkly Dialy in NEW YORK


パフォーマンス後のディスカッション。

KacmiのSparkly Dialy in NEW YORK


私はこの作品

正直映像の衝撃が強すぎて、

観客である白人さんたちは相当にいづらい空間だろうな、、と思いました。



でも

そこはやっぱり

こぶしをダンスに

罵声を音楽に変えてやったLIVE PERFORMANCE,

それによって

「ああそうか、彼らは黒人の差別について主張したいんじゃない、
みんなひとつの人間と言う存在、一緒なんだ、と言うことを言いたかったんだ。。」



そんな終わり方だったのでほっとして。


でもディスカッションでは

やはり黒人の方しか発言をしなかったし、みんなが発言できる空気ではあったけど、

感じるものの多さはやはり違って、、、



白熱してきた中で

今回インスパイヤーされた事件に関しての資料を持ってきたおじさんがいて、

それをみんなにまわして熱弁を振るい、

「このパフォーマンスを通じて、今だ!今が変わるときなんだ!!そう思った。」そういい、

彼の独壇場になってしまった。



彼が悪いとかそういうことではない。。


ただ

そういう風に振舞うことで

「逆差別」にはなっていないだろうか?

壁を作ってしまっているんではないだろうか??



せっかくパフォーマンスという名の「発言」で

人種問わず「輪」が出来たような、

これから出来ていくようなそんな希望を持った終わり方だったのに。。







これは私の意見。


痛みを知ったものは

その痛みを主張するのではなく

その痛みから得たものを主張するべきであると思う。



それが本当の意味での

平和であったり、愛であったり、希望であったりにつながっていくのではないかな。



そんな事を思ったパフォーマンスでした。