2014年から備忘録的に始めたブログだったけれど、しばらく更新せずにいました。

 

意識のことは自分のライフワークだと思っているので、

 

日々感じたり気づいたるすることは多々あるのだけれど、

 

自然農の畑活などに時間を使っていました。

 

でも、ちょうど1年ぶりに更新してみようという気持ちになったので再開します。

 

 

それは、、、

 

バイロン・ケイティのワークをしてみて、これってわたしの世界(宇宙)を変えてしまうほどすごいのでは!?

 

と思ったので、視点屋のおっかさん的にはメモらずにはいられないというかメモ

 

 

ちょっと恥ずかしいけど、自分自身のワークを赤裸々に記録していこうと思います。

 

 

では始めます爆  笑

 

ワークは分かりやすくアレンジされています。

 

 

自分自身に繰り返しストレスを生む状況について、     に言葉を入れて文章にしてください。

 

 

わたしは  (名前)    に対して  (感情)      感じています。

 

なぜなら、   (名前)     (少しオーバーなぐらいに表現する)  だからです。

 

 

『わたしは母に対して嫌悪を感じている

 

なぜなら、母は言葉の暴力をふるってわたしを支配するから』です。

 

Q、それは本当ですか?

 

A、はい

 

Q、絶対にそうだといいきれますか?

 

A、はい!

 

Q 、その考えを採用するとき、どんな気持ちになりますか?

 

A、いつもうんざりします。悲しくて辛くて近寄りたくないです。

 

Q、そんな思いに翻弄されなかったとしたら、どんな気分になりますか?

 

A、安心してのびのびできて、平和でしあわせで力が湧いてくると思います。

 

 

では、これを言いかえていきます。

 

 

 

置き換えパターン1 わたしのハートわたしの頭に対して嫌悪を感じている

 

なぜなら、わたしの頭わたしのハートに対して、言葉の暴力をふるい支配するから

 

(うわぁ!ひどい奴や~!ハートちゃんかわいそう。。わたしの頭うるさいわ!でもなんかしっくりくる)

 

 

置き換えパターン2 わたしはわたしに対して嫌悪を感じている

 

なぜなら、わたしはわたしに対して言葉の暴力をふるい支配するから

 

(ううむ・・・自作自演か)

 

 

逆の立場から 母はわたしに対して嫌悪を感じている

 

なぜなら、わたしは母にたいして言葉の暴力をふるい支配するから

 

(言われるの嫌だからわたしは口に出しては言わないけどね~心の中では嫌だね~ありえんわ!と思って壁立ててるし逃げてるわ。たしかに、母を悪者にしてて、分かって欲しい変わって欲しいと思い続けてきたしね、これって支配だってことだよね。)

 

 

反対の視点 母はわたしに対して好意(愛)を感じている

 

なぜなら、わたしは母の大切な子供だから

 

(文句言いったり愚痴ったりしてるけど、365日言ってるわけじゃないし、優しいときやいいこと言うね~という時もある。何度かどっかーんとすんごい嫌な言葉浴びちゃってそれが怖くて印象に残りすぎてるんだよな。。ほんとは愛されてるんだとは思う。)

 

 

内容を反対にする 母は、わたしに対して思いやりの言葉をかけてくれてサポートしてくれる

 

(う~む・・・たしかにそういう面も多々あったと思う。忘れていた)

 

 

感謝に置き換える わたしは母に感謝を感じている

 

なぜなら、母はわたしに最も大切なことに気付かせてくれたから

 

(最悪が最高につながるためのストーリーの役者を演じてくれたってことだね。これぞ究極の親からの教えなのかもしれない)

 

 

Q、たとえ母がそんな状態であっても大丈夫。と言ってみたらどんな感じがしますか?

 

A、う~ん、反応する部分はわたしの鏡だとしたら、あとは母の課題だから、あーそうなのねと気にならずにいられそう。

 

Q 、お母さんがそういうひとだって言ってるけど、わたしこそがそれなんだっていう言い方で言ってみて!

 

A、わたしは人に嫌悪感を感じさせるほど、心の中で暴言を吐き、心の中でそっちが変われと人を支配している。

 

(あ~なるほど。そこまでなのね。わたしにもそういうところは多少あるけど、母のほうが何倍もひどくやってると思ってた。あんな風にだけはなりたくないと思ってたわ。言葉に出さなくてもそういうものを発しているということだね、すごいね)

 

Q、わたしは2度と母から言葉の暴力によって支配されたくないと言ってみて!

 

A、わたしは2度と母から言葉の暴力によって支配されたくない。

 

  もう何百回もされて嫌な思いしてうんざりしてる。

 

Q、わたしは、何度でも何度でも何度でもそうされてもへっちゃらです。と言ってみて!

 

A、わたしは、何度でも何度でも何度でもそうされてもへっちゃらです。

 

(へっちゃらと思える時が来るとは思ってなかったかも)

  

Q、わたしは喜んで母から言葉の暴力で支配されることを歓迎します。と言ってみて!

 

A、わたしは喜んで母から言葉の暴力で支配されることを歓迎します。

 

捉えなおし なぜなら、こんな経験をすればするほどわたしは安らかになるように思います。

 

 

 

相手や世界が変わらなくてもいい。

 

わたしの捉え方だけで世界が違ったように感じられる。

 

ということは、全部わたし次第でどんな未来も創れるということ。

 

本当の意味で、人生の主導権を取り戻すということ。

 

対症療法ではなく、心や体の不調の大元を消すことができるということ。

 

これはすごすぎる!おもしろすぎる!

 

ひとのせいにするのを手放す勇気を持つだけで。

 

さらに、ひとに対してだけではなく、あらゆることにたいして応用ワークができそうだ。

 

 

 

そこからいろいろ気付いたこと、、、

 

わたしは、自分が不完全で感情的になることや、支配的になることをよしとせず、

 

我慢しては、自分自身を嫌悪して裁いているところがあったんだなー。

 

このワークをやってみて、なんだか心が落ち着いて軽くなったのは、両極のバランスが取れたからかな。

 

陰と陽どちらの面もあっていいとほんとに認めると、自分に対する嫌悪が消えていく気がする。

 

そして、他のひとのそういう面も気にならなくなるんだね。

 

頭では今までも分かっていたとは思うけど、

 

紙に書き出してみてほんとに腑に落ちる感じがする。

 

 

自分と同じところに反応(共振共鳴)しちゃうということで、

 

わたしたちって音叉みたいなもんだね。

 

まだまだ母を通して細かく見て行くと、自分の中のいろんなものが見えてきそう。

 

引き続き引っかかるものからワークを続けます。。

 

 

 

 

それにしても、悪役の役者さんはご苦労さんだねーー

 

相手から見たらわたしも悪役だったりするわけだしねーー

 

悪役も大貢献!?してるってことだよね、実は。

 

わたしのドラマの中に登場してくれてありがとう!

 

嫌な役、大きな鏡の役をやってくれてありがとう。。

 

じゃなかったら、わたしは全部自分が創り出している捉え方なんだということに一生気が付かなかったと思う。

 

 

そして、自分が気付いたなら、その嫌だった現象は起こらなくなるということ。

 

それって最高の朗報じゃない!?

 

実際、最近は母は静かです。

 


 

次は『夫』編を行こうかな爆  笑

いろいろ出てきそうだ~

 

 

 

 

真夏の夜の夢キラキラ

昨日は久しぶりに再開された花火大会、孫たち連れてみんなで見に行ったよ。

絵のような写真が撮れましたウインク