願いを叶えて、そして幸せになりたいと思ってきた歴史は長かったように思う

 

ただ、これだとずっと幸せにはなれないのだということ

 

なぜなら、

 

「今」幸せではないと思っているわけだから。

 

だから、幸せになりたいと思うわけで、

 

わたしは幸せではありません!まだ満たされていません!と宣言しているようなものなのでしょう

 

これが叶ったら幸せになれるのだと思っているのだよね

 

だから願いを叶えて幸せになりたいと思っていたのだよね

 

 

願いが叶うと、やった~!幸せ~!って思うけど、割と一瞬でその幸せ感は消えて行ってしまい、

 

また次なる幸せを感じるための願いが生まれる

 

 

もしも、願いが叶わなかったら、、、幸せじゃないし

 

いつも一喜一憂して、いつまでたっても心が落ち着くことがないわけで

 

 

願いが叶う叶わないに関係なく、

 

「今」幸せになっちゃったなら、幸せになりたいという願いはもれなく叶うのだ!

 

だって自分は幸せなのだから

 

 

自分の内にあるものが外に顕れるというけれど

 

アラジンの魔法のランプのごとく、これはそのままに反映されているのだと

 

幸せになりたいのです!と願う(放つ)と・・・ハイ、かしこまりました!ご主人様

 

というわけで、、、

 

明日も明後日も「幸せになりたいと願っているあなた」を叶えてさしあげましょう

 

となるということで。。

 

 

わたしは幸せです、なんとありがたいことか!と放っていると・・・

 

明日も明後日も「ありがたいなぁ!幸せだなぁ」と思える出来事が起きてくると

 

そういうことなんですね。。

 

 

願いは、もうすでに叶ってしまったと確信できるほどに臨場感を伴い想像できると、

 

脳は幻想も現実も区別がつかないので、

 

それは現実化されるということでもあるようですが

 

 

幸せを感じる感度をあげるということも大事かと思います

 

ついついうまく行ってないように感じることばかりにフォーカスしてしまいがちだけれども、

 

そうすると、その癖が!?止むまでは、

 

うまく行っていない部分を探し出す人生となるというわけね!

 

 

小さなことでもありがたいな、と思えることに気付けるようになると、

 

さらにそれが連鎖するということになりますね

 

 

いい気分でいることは、さらなるいい気分になるようなことを引き起こす

 

幸せになりたいというのは、つまりはいい気分を感じていたいということだからね!

 

 

 

願いだけではなく、祈りについても同じなのでしょうね

 

次回は祈りについて書いてみます

 

先日の「天皇の祈り」がきっかけでちょっと深堀りしてみましたので。。爆笑

 

柑橘類が花盛りで、そこここになんともいえない芳香が漂っているこのごろですキラキラ

まだ実も成っている夏ミカンの花