意図的であれ、無意識であれ、わたしたちは自分の現実を自分で選んでいる。
誰かに言われたからとか、嫌だけれどもこれをしなければいけないから・・・と、仕方なくやっているようなことも、実は自分が選んでいる。
そこにも、思い込みや信じ込み(信念や観念)が隠れている。
こういう人であるべきだ、こういう人であってはいけない、こうするのが人として正しい・・・みんなそうしているから・・
これをしないと困ったことになる・・・などなど、そんな思い込みで選択していたりする。
経験を元に、その信念や観念が作られたと思っているが、実は逆で、その信念や観念があるからその同じような現実が創り出され続けている。
わたしたちは、どんな信念や観念を持ち、どんな体験をしようとも自由であり、許されている。
そこに良い悪いもない。
ある意味好みの問題ではあると思う。
だけど、もしそれが自分を不自由で不快にしていて、もうやめにしたいと思うなら、それを手放せばいい。
そっか~そんな思い込み持ってたわ~!と気づいただけで自動的に解放される
すると、問題だと思っていたことが消えていくということに出合う
これは観察して体験してみると分かる
病気が消えていくこともこれと同じだと思う。。
そしてもうひとつ、
無意識に、困難な状況になるような人生を歩んでいることもある。
ここにも思い込みや信じ込み(信念や観念)が隠れている。
人生はつらく苦しいものであり、努力しなければ報われない
(まず、乗り越えるべき壁を作り、そこから努力をして一瞬は報われるという体験を繰り返す)
人生は山あり谷あり、いいことばかりは続かない
(幸せなことが続いてもいいし、奇跡のような体験がたくさん起きるという信じ込みを持っている人もいる)
人生は遊園地みたいなもの。お化け屋敷もジェットコースターも怖いけれども楽しんでいる
すべての出来事は、自分や世界の進化成長のために起きている
それぞれ何%ぐらいそう思っていると自問してみる。
どう信じ込んでいるかによって、見える世界、体験する世界は全く違ってくる。
しあわせ感も違ってくる。
世の中をどう見るかや、セルフイメージも同じで、常に個人の思い込み信じ込み(信念や観念)という色眼鏡を通して見ており、その観方が現実という現象として自分にとっての真実となる。。
世間の中に自分がいるのではなく、自分の中に世間があるという視点に時々戻ってみる。
安心やしあわせ感の中に在ることを望むなら、、、
ネガティブと言われているようなことを悪と決めつけて、それと戦わないことを選ぶといい。
(日常の小さなネガティブや、病気、死、離婚、マイナスの経済などなど)
ついネガティブなことはいけないことだと嫌って隠したり排除しようとする傾向があるけど、
ネガティブに感じられることの中に、なぜそれが自分にとって必要だったのかという視点を持つことができた時、ネガティブは反転してポジティブとなり、力が湧いてくる。
すると、そういう現実が展開されていく。。。
どんなことが起きても、揺れることはあっても安定したしあわせ感の中にいられるようになってくるのだと思う。
自分の世界は自分だけが、かなりの部分コントロールできるのだと感じている。
なにせ、大きな自分(本当の自分)が、自分のためにすべて仕掛けているのだから。。
つづく。。。
庭のクリスマスローズ