物事は引いてみると(宇宙視点)で見ると、起きていることは中立
なにかを続けられなくなったとしても罪悪感は持たなくて大丈夫
結果ではなくてプロセスで何を学ぶかが重要なこともある
なにかに参加できなかったことにも罪悪感を持たなくても大丈夫
その都度、中立な出来事が起きているだけなのだから
その中立であるはずのできごとにどう色を付けて見るかは、それぞれの見方次第
ある意味、それぞれの人はその色を楽しんでいるともいえる
いやなこと苦しいこともあえてそのように体験して何かを得ていることもある
それが好みでないならば、自分自身が気持ちよく観ることができる工夫が必要かもしれない
自分自身に正直に心地よくできる活動をしていることはもっと大事
こんなに大変、こんなに頑張っているのに手伝ってくれない!と言われたとしても、必ずしもなんとかしてあげようとしなくても大丈夫
手伝えると思った時は手伝えばいい
もしも、自分ばかりがこんなに頑張っているのだからほかの人もやるべきだと思うなら、それは、自分が頑張りすぎている時だろう
頑張り過ぎの中身には、罪悪感や人の目・人の評価を気にしていたり、こうあるべきという信念観念思い込みなど設定変更の余地がある
一つ一つ丁寧に観ていけたらいいね
自分の望まない状況になっているなら、では自分はどんな状況を望んでいるのか?という自分自身の本当の望みを知るための材料とすればいい
自分自身が消耗するような人間関係には近づかなくてもいい
そういうときには自分のことだけに専念する
余力のある場合にだけ人のことにかかわる
中立目線に早く戻れると楽
楽しくもないことにエネルギーを注がない
不快なことにエネルギーを注ぐのをある意味楽しんでいることはある!?
人間関係は、楽しく気持ちよくできるよう配慮と工夫も必要
自分自身が心地よい状態でいることさえできたなら、特別なことはしなくても周囲は整うのだろう
しかしながら、心地よくないことが起こるのも、さらに発展するための機会なので悪いことが起きたという考え方はしなくていい
すべてを糧として周囲とともに繁栄していけたらいいね
自分を整えることで発展、繁栄する周囲を観たいと思う
いただき物の波動薔薇と、ピンクのは我が家のチャールズ・レニー・マッキントッシュ