前回の、罪悪感いっぱいだったり、自己卑下していて、
自分を責めてまだまだダメだとか、こんなことではダメだと思っていると、
ひとからも責められたりして、
自分がMすぎるということを教えてくれる人が現れるということ。。。
こういう現実創造の仕組みって、うまくできているなぁと思う。
自分の意識というフイルムが、現実というスクリーンに映し出されて上映されているだけだから、
上映されている内容が気にいらないなら、
フィルムの方を変えればいいという話はよく聞く。
でもたいていは、
スクリーンの方にのめりこんで、その登場人物の方に文句を言っているわけで。。。
そう、
自分を責めてくる相手に文句言っているよね。
ひとのせいにしているのね。
Mすぎる自分という設定にして流してるのは自分なのにね
映画の中の人は、フィルム通りに上映されているただの光の投影で、
実体はないわけで。
フィルムが変わると、現実が変わるというのは実際にやって試してみると納得できると思う。
へ~自分が自分を責めているんだ・・・たしかに・・・そうかも
と思えると、それだけでだいぶ変わってくる。
さらに、
もう自分を責めるのはやめよう。
まず自分を大事にしよう。
自分の言い分を自分が一番の理解者になって聞いてあげよう。
自己卑下はやめた。
罪悪感を持たなくてもいい。
と心に決めると、
そうなると、ガラリと大きく変わってくる。
この世のすべてが映画のスクリーンという見方ができると、
スクリーンという現実に飲み込まれることはなくなるよね。
観る人観る角度によっていろいろに観えるわけで、
本当は正解もなければ、実態もないんだよね。
実態があるように見えるけどね。。
それもおもしろい。
過去にあった出来事も、自分がそのように観て記憶しているというだけで、
もはや実態は無いというのに、
もしかして、何十年もうらみつらみを反芻して、臥薪嘗胆の上塗りを続けて、
幸せを感じないようにする実験もできるわけで!
そんなこの世のカラクリが分かってくると、
気にいらない現実を変えていくことも可能となり。。。
責められる以外にも気に入らない現実はいろいろあるわけで、
それが自分のどういう思い込み、勘違いからそうなっているのかをあれこれ研究中
今までは、そういうことを知らなかったので、
見当違いにひとを変えようと四苦八苦してきた歴史が長かったのはわたしだけではないわね
つづく
先日訪れた、『大雪森のガーデン』の幻の青い芥子