世界はすべて、自分の心の反映
ほんとうはすべてがそうなんだろう
すべて
あることはそうだけど、あることはそうではないということはなく、、、
ほんとうはすべてがね
そう思えないところに信念や観念など概念があるから、
そう思えないだけで
それは自分の中では事実として存在して身体的な反応をも引き起こす
たとえば、
今わたしが、好きじゃないな~と思う概念として、
歳をとると病気になるとか、治りが悪くなるというもの
あるいは、だんだん弱って死んでいくというものも含めて
あまりに一般的に流通していて合言葉のように使っているのを聞いたりするけど、
そうじゃない人たちもいる
それから、
厄年についても
すごく気にしてお払いに行ったりする人もいるけど、
気にならない人もいる
逆に、それを利用するかのように飛躍に利用する人もいる
わたしは、言われるとなんとなくいい気分がしなかったりするけど、
なんとなく嫌だな~と気になったりするということは、
意識の中に、それに「見合ったもの」が存在するということ
もしも、
どこかの名前も聞いたことのない国の民族の信仰で似たようなものがあったとしても、
自分にとっては全く存在していないのと同じレベルぐらいに気にならないだろうからね
存在していないレベルというのは自由でいいなと思う
気になるものは、なんらかの観念、信念などを採用しているということになる
つまり、そういう設定になっているということ
そういうものは、
採用していてもいいし、
採用していなくてもいいし、
ほんとうは、まったくもって自由ではあるんだろうけれど、、、
自由に採用できていないというのは、
集団的な洗脳レベルの思い込みなのかなと
死ぬということについても
不自由で、心を重たくしているものは、
発見する都度に設定を変えていきたいなとつくづく思う
大粒イチゴの紅い雫
甘酸っぱくておいしい