モダンダンスをやってた時、私は振付けもやってました。

最後にやった振付は、もう何十年前?って感じですが。

 

今読んでる小説に触発されて、なんか思い出したのです。

 

振付けるとき、テーマやイメージがあって振付ける。

でも、人前で発表したら、その作品は、ある意味、自分の手から離れると思ってた。

それを見て、なにを感じるか、どんな作品だと考えるか、それはすべて観客次第と思ったから。

それは必ずしも、私が意図したとおりに受け取られるとは限らないけど、でもそれでいいと思った。

ダンサーにはもちろん、こちらが表現したいことは伝えるけど、何かストーリーがあるとかじゃなければ、そんなにはっきりしたものではないことも多い。

 

モダンダンスは、抽象的な作品が多いから、見て、この作品はこういうことが言いたいんだね、とはっきりわかることはあまりない。

別にそれでいいんだけど、時に、「これはどういう作品なのですか?」と聞く人がいる。

 

私が最後に創った大学時代の作品。

照明さんにも、イメージをしっかり伝えて、出来る限り私のイメージに近い照明を創ってくれた。
劇場での発表が終わって、その照明さんがそれを見た生徒たちに、話をする機会があった。
そこで彼は、私の作品について、「あれは孤独がテーマの作品だ」と言っていて、そんなこと露ほども思ってなかった私は、(へー、そう思ったんだ)と思って聞いてた。
でも、なぜだか断定してたので、それを聞いた生徒たちは、そうなんだーと思ったに違いない。
別にそういうわけでもなかったんだけど。(笑)
 
でもたぶん、私に、あれはどういう作品だったんですか?と聞かれたところで、明言は避けたと思うし、あなたが思ったままでいいですよ、と言ったと思う。
私も昔は、人の作品を見て、なにを表してるのかが気になったけど、今はそれよりも、自分がそれを見て、なにを受け取り、どう考え感じるかが大切だと思うようになった。
だから私が表現する方の立場になった時も、見る人には自由に思いを馳せてほしい。
その感じたことを、言葉にする必要もない。
 
全くいいと思わない人がいたっていいし、わけわからんと思う人もいていい。
でも、人前で発表するなら、誰かの心に残ったらいいなと思いつつ、心を込めて精いっぱい表現したいと思う。
あとは、相手が感じることは、相手に任せる。
 
社交ダンスの場合は、まあ、あんまりわけわからんとはならない気がするが。
私は私で感じることを表現する。
パートナーはパートナーで、彼が感じた表現をする。
こういうイメージでと言うのがしっかりある場合は、それを二人で共通認識として、表現する。
ただ、技術の上手いとか下手とかを超えた何かを、表現できたらいいなと思うし、それを見た人が、必ずしも私たちの表現した感情と同じではなくても、何かを感じてもらえたらいいなと思うのである。