昨夜、満月を眺めていました。

きれいやな~って。

私が見たときは、くっきりはっきりというよりは、ちょっとぼやんとした感じで、黄色いお月さまでした。

 

そして家の中に戻ってきて、お気にぃ先生のスタジオのオーナー先生から先日送られてきた、全生徒へのメッセージを、再度読んでいたときに、ふっと降ってきた考えを、書いておこうと思う。

 

今、もしくはこれから、大事になるのは、まずは恐怖を手放すこと。

コロナの恐怖、死の恐怖、変化への恐怖、などなど。

そして、今の状況をすべて受け入れる。

コロナウイルスの存在、死、変化、全て。

そして、生きること、前進すること。

どうしようとか思わず、腹を決める。

特に、やりたいことをやると決める。

 

今の状況で、自分にとっては何が大事か、嫌でも見えてくると思う。

だから、それを大事にすればいいと思う。

 

またダンスに絡めちゃうけど、私がしたいダンスは、濃厚接触が避けられない。

それを100%クリアしようと思ったら、あと、1年とか2年とか?できなくなる。

私はそんな、恐怖に支配されて、やりたいことやらないような人生は嫌だ。

 

人によっては、このダンスができない期間の間に、その人にとってはダンスより大切なものがあったと気づいた人もいるかもしれない。

そうなら、そっちの道を行けばよい。

 

ダンスはしたいけど、怖いからしたくない、というなら、怖い間はしなければよい。

 

全てはその人のチョイス、なんだ。

 

私がオーナー先生のメッセージを読んでいたとき、なぜか自分の中に恐れがないという感覚があった。

恐れがないから、私はいつでも、先生のスタジオに行って踊れるな、と思った。

怖いけど、ムリにでも踊りたいから踊りに行く、っていうんじゃなくて、なんか、もう怖いっていうphaseは過ぎたなっていう気がした。

パチンコに行く人のように、自分がコロナにかかっても、自己責任だし、別にいい、みたいな感覚ともまた違う。

なんというか、全てを受け入れて、平和~な感じ。

ただ、ダンスが自分のやりたいことだから、今までのように踊りに行く、ただそれだけっていう感覚。

 

先生方が、腹をくくって、再開してくれはるかは、彼らのチョイスだから、私にはどうにもできない。

私はお気にぃ先生と、思う存分踊りたいけど。

 

 

ただ、自分の中から恐怖が消えて、平和な感覚になったのを感じたら、あ~、こうやって生きて行けばいいのか、と思ったんだ。

そうすれば、きっとそういう平和な現実が待っている、と思うんだ。

 

恐怖からか、自粛警察みたいになって、正義感振り回してる人に対して、嫌悪感覚えてたけど、でもパチンコ行く人見ても、嫌悪感感じてたのも事実。

自分の中にも、自粛警察みたいな一部分があった。
ただそれをもろ出しにして、対象者を攻撃したりはしないけど。
 

でも、自分の中の平和を感じたときに、あ、私は、そういう恐怖で生きていくのは嫌。

そっちを選びたくない、と思った。

この、平和で、「うん、大丈夫」っていう感覚で生きていきたい。

そういう現実を呼び寄せたい。

現実を作るって、きっとこういう感じ、な気がした。

 

 

今は、世間が、たくさんの恐怖で充満してる。

いろんな専門家が、私より賢い頭で、いろんな数字出してきたり。

しかも大抵、悪い方の数字。

もっと感染者が増えます、死者が増えます、オーバーシュートします、医療崩壊しますetc。

こうしなければなりません、ああしなければなりません。

そして、コロナに罹らずとも、多大な影響受けて、苦しむ人が増える。

 

そんな周りの恐怖感に、影響受けずにいるって、すごく大変なこと。

でもきっと、それが今一番大事なこと。

私、日本人、すごくよくやってると思う。

普通に頑張ってる人いっぱいいる。

だから、大丈夫、と思う。

なんの統計も、エビデンスも、もってないけど、何となく、そう思う。

 

そして、私は、私のそういう感覚を一番大事にして生きていきたいと思う。

だって、私が見てる、生きてる、人生は、私が主役で、私のものだもん。

情報は集める。

でもそれに踊らされない。

私の世界の私の事実は、私が決める。

 

ただ生きることに、前進することにfocusするなら、どんな人生を生きたいか、歩みたいか。

その自分の気持ちに正直に、生きていこうと思う。

 

そんな感じかな。

 

言葉にしてみたら、なかなか表現するのが難しかったな。