古代ギリシャのオリンピックが「平和の祭典」と伝えられたことから、スポーツは平和と深い関係があるように考えられています。
しかし、スポーツは平和と同じくらいに戦争に関係しているのです。
確かに古代ギリシャではポリス(都市国家)が戦争を中断して祭典競技を催したのだが、それはペルシャ帝国とのより大きな戦争に備えて、汎ギリシャ帝国を徹底させ、ポリスを団結させるものでありました。
「外に敵をつくれば身内が固まる」というのは人間社会の習いです。
だから、スポーツは相手を敵とすることで、人々の団結や連帯を生み出す手段に使われる。
政情が不安定で、生活に不満が多い国がスポーツに力を注ぐのはそのためです。
近代スポーツの母国イギリスには「ワーテルローの勝利はイートン校のグランドで勝ち取られた」という諺があります。
それは近代の集団的な戦闘で、イギリスの将校が優れた力を発揮できたのは、彼らがパブリックスクールのチームスポーツで鍛えたからだという意味です。
それ以来、スポーツは体力や勇猛心、統率力と服従心など、戦闘に必要な資質を育てるものとみなされるようになりました。
一方、スポーツは人間の攻撃性や破壊への傾向を代償的に満たすから、戦争への傾向を弱め、平和に貢献するといわれる。
しかし、激しい戦闘的なスポーツは人々の攻撃性を高め、美的で技能的なスポーツはそれを弱めるというのが真実なのです。
だから、格闘スポーツが流行る世相には十分気をつけなければならないのです!