大谷翔平選手が投手と打者の『二刀流』で大活躍して世界中から脚光を浴びている。

全盛時代のPL学園に集まって来る選手はほとんどが、エースで4番だった連中ばかりである。清原の3年時のレギュラーのうち、7人までが中学時代は投手をしていた。清原と桑田もそうだった。そんな連中が、一人、また一人と投手から野手に転向させられていく。''お引き取り"という儀式だそうだが、翌日からピッチングをしなくていいと言い渡されるのは、ある意味で脱落したようなショックがあったようだ。
だが清原にとって、投手失格のショックにも増して大きな衝撃だったのは、桑田がそのサバイバルゲームに勝ち残ったことだった。

「僕より体は小さいし、スピードだって僕より下。なのに桑田は投手失格の烙印を押されなかった。野球はただ体が大きくて、速いボールを投げればいいってもんじゃないって、なんとなく考えるようになりました。」

しかもですよ。学校の授業中も、こっちが居眠りしてて、時々目を覚ますと、いつも桑田が手を挙げて質問してる。こりゃ、頭ではあいつにかなわないな、と思いましたよ。



頭が良い悪いではなく、いろんなことに興味をもつかどうかだと思う。
授業中に起きて質問していたか、寝ていたかの違い。
それが、遠い将来に決定的に大きな違いになってくる。

「相撲部の輪島です」「○○部の○○です」と言って寝ていたか、たとえ分からなくても授業を聞いていたか勉強の真理真実を凝視していたかどうか?それこそが一番大事なことではないでしょうか!

それが日大の田中氏の「アメリカンフットボールなんてルールも知らない。私には関係ない。私は相撲部だから」とおよそ大学のトップにいるとは考えられない言葉は絶対に出てくることはないはずだ!




桑田真澄の渾身の全力投球