昨日、テレビ番組『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』(テレビ朝日系列、19:00 ~21:48)で欽ちゃんこと萩本欽一さんが74歳にして一念発起して駒沢大学の仏教学部の大学受験にチャレンジして見事合格して、楽しくも真剣にマジメなキャンパスライフを送っている様子が放送されていた。


 欽ちゃんは駒沢大学の社会人入試の受験科目が英語と小論文と面接ということだったので、英語だけに絞って家庭教師とマンツーマンで猛勉強を始めたが、高齢ということもあり、ほとんど頭に入らず、覚えてもすぐ忘れるありさまだった。


 そこで、欽ちゃんは考え方を大転換して、自分なりの独特の勉強法をあみだした。参考書・問題集は全部コピーして自分のノートに重要な部分を貼り付け、自分の言葉を書き込んで、自分特製の参考書を手作りした。


 英単語はイメージで、欽ちゃん流のユーモアをまじえてゴロ合わせで覚えていった。


 そして、見事合格を勝ち取った。本当に努力家で素晴らしいことだと思った。


 しかし、私はふと疑問が湧き上った。

社会人入試とはいえ、仏教という宗教を主に学ぶなら英語だけではなく、世界の歴史や現代社会の知識が必要不可欠ではないか。母国語である国語も必要だろう。

入試科目は英語だけではなく、最低限、社会と国語も必要ではないか?


 こんなふうに、一般の現役高校生の大学入試でも私立大学は3科目ぐらいだし、国立大学もセンター試験があるものの二次試験の科目は少なくなる傾向にある。


 欽ちゃんは入学しても熱心に勉強に取り組んでおられるが、たいがいの大学生は入試までは猛勉強するが、入学したら、やれサークル活動だ、コンパだ、バイトだ…etc と、あまり勉強しない学生が多い。


 だからこそ、入試科目は私立大学も国立大学も、もっと増やすべきではないかと強く思う。


 それに受験科目だけ勉強する高校生の基礎学力は目を覆うほど低下しているらしい。


 日本の大学は、入学してからも、もっともっと勉強や研究に打ち込むようなシステムにしなくては日本の未来は見通し暗いと危機感を強く感じる。