今日も朝から晴れていますが、気温は些か下がっています。明日は何処も天気が悪いようですので、その前触れでしょうか?場所によっては雪が降るとの予報も出ていますが、大阪在住時代に4月の降雪経験済ですから全く驚きません。
私は今日も朝から仕事です。相変わらずしつこい眠気が付きまとっていますが、この眠気を固形もしくは液体にして不眠症の薬として売れたらと思うくらいです。どんなに酷い不眠症でも、この強烈な眠気なら速攻で治るでしょう。
平成最後だ新元号だと相変わらず世間は騒いでいるようですが、この度、政府が紙幣の人物を新しいそれに変える旨発表したとか。一万円札が渋沢栄一、五千円札が津田梅子、千円札が北里柴三郎になるらしい。いずれも明治時代の人物ですが、この根拠は一体何か気になって仕方ありません。もっとも彼等所縁の場所は、来年のNHK大河ドラマの主役のそれに負けず劣らず今頃盛り上がっているかもしれません。
盛り上がっていると言えば、この間の尼崎及び尼崎城もそうですね。関西エリアの松本人志の番組(私の田舎のテレビ局は未だに放映していません。ので、私は未だに視る事が出来ないままです。)で紹介されていましたし、尼崎城一般公開開始記念イベント最終日に尼崎城に武活に行って来ましたが、週刊誌も取材に来ていました。あの週刊文春がです。尼崎城一般公開記念イベントの取材に来ていたそうです。昨夜、その文春を購入して記事の内容を確認したら、武将隊の集合写真も載っている。名古屋おもてなし武将隊の姿があるので、取材したのは先月30日(名古屋おもてなし武将隊は30日のみ来ていました。)と見ていますが、武将隊目当てに集まって来た女の人全員をオバチャンと十把一絡げに言っているのが凄いです。
当時は春休み時期で、若者や子供の姿もあったはずですが、若者も子供も含めてオバチャンと言っている訳でしょうか?もし、そうならば、取材した記者は赤ちゃんでないとねぇ。赤ちゃんなら、若者や子供もオバチャンと言ってもおかしくありませんから話もわかります。しかし、日本では、労働していいのは15歳になってからですから、赤ちゃんが週刊誌で記者の仕事をするのはとても無理です。記者の名前には、奴さんの年齢の記述がありませんが、何故でしょうか?奴さんも大概オッサンやオヤジのはずですが?下手するとジジイですし。他人を十把一絡げにオバチャンと言う資格は無いはずですよ。
あと、記事中で記者が尼崎城についても随分ケチを付けていますが、あの城を完璧に復元及び再建するには、元々の場所にある小学校やその周辺の建物その他の施設は勿論、人間全て立ち退かせる段階でえらく金と時間がかかりますし、城そのものも現在のEDIONの創業者の寄付金だけではとても資金は持たないでしょう。大体、尼崎城はかつて根こそぎ破壊された城だそうですからね。縮小して再建しただけましと思ったほうがいいのでは?尼崎市及び市民が、この記事をいつか笑いの対象に変える程に尼崎城を盛り上げと集客の拠点にして行く事を願っています。
さて、ぼちぼち、昨年3月4日午後0時過ぎの城彩苑に戻りましょう。
親水空間の舞台上では、グレート家康公「葵」武将隊の演舞が続いています。