今日は少なくとも昨日の雨が上がっているのだけは確かです。雨降りは余計な荷物が増えるし、いちいち面倒もそれに比例して増えるので嫌いです。
私は名古屋でのインド映画漬けの一日から田舎に大返しの直接出勤で今日からまた仕事ですが、昼からまた面倒が控えています。今日の所は滑り止めの要素の強いものがありますが、やはり採用にならないでは落ち着きません。今の時点ですら宙ぶらりんの煮え切らない状況ですから尚更です。昨日の名古屋行きでの朝の熱田神宮参拝の際に引いた御神籤には、願い事は次第に叶う、とありましたが、相変わらず転職の心配が消えないので、また別の熱田神宮の敷地内の神社で御神籤を引いたら、一体どれだけ焦って感情先走りになっているのか、と言った内容が出て来ました。やはり御神籤を引くのは一回こっきりにしたほうがいいようです。以前の手術前に行った春日大社では一回こっきりの御神籤引きにしていますが、金の心配がとにかく先立ってしまいます。
昨日の熱田神宮参拝の時は、その近所に何だか気になって仕方ない寺社があり、思わず熱田神宮参拝前にそこで事前に参拝していました。勿論、転職祈願で。その寺社は火と関係の深い寺社ですが、熱田神宮とその周辺は何とも無視出来ないものがあるのは確かです。ひょっとしたら、呼ばれたのかもしれません。
ところで、何処かの田舎の自治体の役所が、全国的にインフルエンザが猛威を振るっている最中にも拘わらず、マナー講師に言われたから、皆に好評だから、とか何とか言って職員にマスク無着用にさせているらしいですね。私の田舎の自治体はあらゆる意味でつくづくどんくさいですが、それより凄いものがありますね。件の田舎の自治体もインフルエンザの猛威の下にあるのに、職員のマスク無着用を勧めたマナー講師とそれを喜んでいる連中の顔が見たいものです。
マスク無着用の件以外でも、マナー講師が余計な事を言って現場を引っ掻き回している例は少なくありません。まるで昔の中国や韓国の儒教の連中のようです。もっとも春秋時代の中国の国々で孔子を正式採用した国は何処もありません。例え暗君が治めている国でも採用していませんからね。何処かの国の切れ者で有名な宰相に至っては、儒教の連中は現実を全く見ない、他人の金を散々食い潰して害悪を撒き散らす金食い虫、と断言していますし。事実、儒教を採用した国は途中から必ずどん詰まり状態になっていますね。日本も未だに近代国家にすらなっていないと言えます。
さて、ぼちぼち、昨年3月4日午前11時過ぎの熊本城二の丸広場に戻りましょう。
舞台上でのやまがた愛の武将隊の演武の終わりが近付いて来ています。