二人とスタッフが丸亀お城祭りの模擬店や自治体その他の団体のブースが集中している所に熊本城おもてなし武将隊のそれもありますが、そこに戻る途中でも地元の人々が寄って来ていて、二人はそれ等に応じていましたし、熊本城おもてなし武将隊のブースに戻っても、二人はおもてなしを続けていました。勿論、香川県外からやって来たファンも私もそこに行きました。
官兵衛殿が演武中のトークタイム中に長宗我部元親の関係で、豊臣秀吉の四国征伐の際に香川県(当時は讃岐ですけどね)に混乱をもたらした事について、客席の人々に詫びを入れていましたが、私は再びブース前で官兵衛殿と話している最中にそれについて、何をどうしても揉める時は揉めるから、と言ったものです。はい、私が先祖の関係で平家の面々と平治の乱以来の腐れ縁になっているのがありますのでね。官兵衛殿とは、高松城の話もしていました。あの城は彼が設計したものの一つですが、香川県の人間は知らない者が多いです。官兵衛殿とは、割と真面目な話をしていました。清正公さんともちゃんとまた話していましたので念のため。
話したのは、二人だけではありません。香川県外からやって来た熊本のファンともです。最初からどう見ても香川県の人間ではないな、熊本の常連ファンだろうと思っていて、モヤモヤしたものがあり、ここは少しでも確認して置きたいとそうしました。彼女達は私が神戸行きが最近増えている事を話すと、熊本にももっと来て欲しい、との事。心底残念がっていましたが、私ももっと熊本に行きたいと思っているのだけど、と返しました。
清正公さんと官兵衛殿はギリギリ迄現場で粘っていましたが、熊本に戻る時間が来ると、二人はスタッフと共に丸亀お城祭りの会場を後にして熊本に戻って行きました。
私はまだ暫く現場に居ました。急遽衣装の修繕をしなければならなくなったのもありますが、修繕を終えると、由利本荘市のブースで無花果やトマトを使ったお菓子をいくつか、北海道の京極の名前の付いた自治体のブースでペットボトル入りミネラルウォーターとコーヒーを買い、私は久々に丸亀城探検をしていました。清正公さんも官兵衛殿も丸亀遠征の際に行ったし、様子がどうなっているのか確認したいと思って。
確認しに行くと、天守閣迄の道は相変わらず急な坂のままでしたけどね。

これは、丸亀城天守閣付近からの丸亀市街と瀬戸大橋の光景ですが、やはり、清正公さんと官兵衛殿は今頃は…と思ったものです。
暫く天守閣で休み、そこからまた麓に下り、熊本城おもてなし武将隊のこの日の最初の演武があった現場を再び確認すると、月見汁を出している模擬店がまだオープンしていたので、そこでその月見汁の作り方を聞いて来ました。月見汁は丸亀の地元飯の一つで、さだまさしの曲に登場しているらしいです。私はさだまさしファンではありませんが、今後の弁当のネタにしたいとそうしました。麦味噌の汁に野菜と白玉団子を入れるのですが、後はアレンジ大いに結構との事。
月見汁の作り方をしっかり確認した後、時刻を確認すると、時刻は午後5時を回り、模擬店は軒並みクローズして行く一方でした。私はそろそろ帰ろうと丸亀お城祭りの会場を撤収して電車を乗り継ぎながら帰宅しました。
ところで、丸亀お城祭りの会場では、やけに煙草を吹かす者が多く、禁煙も分煙もあったものではありませんでした。喫煙者人口は減っているそうですが、あの場所はそうではないようですね。
因みに、熊本城おもてなし武将隊のブースのあった現場にあったオイスカのブースで買ったマレーシアのクッキーは、ちんすこうに味が似ていましたが、ラードがピーナッツバターに変わったちんすこうと言った所です。おそらくルーツは中国かと思いますが、ババニョニャの人々のお菓子かもしれません。
これで、今年先月4日の丸亀お城祭りの話はおしまいです。明日からは別の場所に皆様を御案内します。それでは朝になりましたので、今日はこの辺りで。