いつかまた会う日迄・再び その65 | Mona Khalifaのブログ

Mona Khalifaのブログ

ブログの説明を入力します。

ようこそ。
今日も寒いですが、夜明け前の西の空には月が輝いていましたし、その周りは波打ち際のような状態になっていて実に興味深い光景になっていました。これから曇りだ雨だとなって行くようですので、一応傘を持参しての出勤でしたけどね。
昨日は「笑ってコラえて」を帰宅後に食事をしながら視ていましたが、その後のNHKBSでの中国史関係の番組がどうにも気になって仕方なかったもので、そのままこの番組を視ていました。今回は清の乾隆帝と香妃を取り上げていましたが、この香妃の存在は乾隆帝に取っての唯一の黒歴史と言われています。随分有名ですが、それにも拘わらず彼の后妃の名簿に名前の記載が全く無いそうで、それは何故かと言う事も取り上げていましたが、これは乾隆帝のただ一人ウイグル人の妃の容妃を元ネタに乾隆帝の死後百年くらいに宮廷を追放された漢民族の官僚が一筆書いたのが原因だったとの事でした。当時の清は国内外が不安定でしたから、漢民族の面々が尚更好き勝手書いて行ったらしいです。乾隆帝の時代の清はすこぶる平和で、漢民族ですら絶賛しているとか。これは乾隆帝が朝早くから夜遅く迄(下手すると徹夜に近い。平均睡眠時間は3~4時間だったそう。)頭も使い気も遣ってバリバリ仕事をしていたからだそうですね。
肝心の容妃は政略結婚だったとは言え、かなり乾隆帝に大切にされていて、55歳で病死ですから、香妃とは同じウイグル人妃でも全く違います。まあ、香妃は実在しませんし。なお、容妃の墓からはキャッツアイが発見されましたが、これは当時は位の高い妃三人のみが皇帝から贈られる宝石だったそう。私はかなり昔、必死で稼いでキャッツアイの指輪を購入しましたが、これを知ってますますこの指輪を大事にしようと思った事は言う迄もありません。
さて、ぼちぼち、昨年5月5日午後2時過ぎの忍城東門前に戻りましょう。
ますます現場は盛り上がっています。