またまたご訪問くださり

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未来の自分の

きらめき=楽しんでいる自分 を発見し

ワクワク過ごしていきたい人を応援します

 

Beam with Joyです

beam with joy とは 

喜びで顔を輝かせるという意味

いつもそうありたいと思っています




自己紹介①は

誕生〜小学生くらいまで

しっかり者で頑張り屋さんという名の

フェンスを張り巡らせていた頃の話でした




自己紹介②では

小学生〜社会人まで

①の続きからお届けします






そうそう

わたしは現在、看護師をしている



弟の死は看護師を目指すための

直接のきっかけではなかったけれど

きっかけの一つにはなっている



直接のきっかけは

テレビで見た青年海外協力隊の映像

いつか私も海外で

困っている人の医療に携わりたいと思ったこと




でも

小学校の卒業文集に書いたのは薬剤師だった

なぜ薬剤師と書いたのか?

仲良しのお友達が書くと言っていたからびっくり

あー流されてるね、わたし



やっぱり

まわりの目が気になっていたのよ

看護師って書いたらどう思われるか?

きっとね、へーそうなんだ!だけ!

誰もどうも思わないわ!と

あの頃のわたしに教えてあげたいびっくりマーク





まだまだあるよ


小学校の4年生から

全員部活に入らなければいけなかったので

夏は水泳部、

春・秋・冬は陸上とミニバスケットに入ってた

運動部は大抵このセットだった



球技が苦手なのに

ミニバスケット部

万年補欠ね笑い泣き



地域の子供会主催の

ポートボールクラブにも

毎週日曜日に通っていた


ポートボールとは

(ミニバスケットに似ていて、ゴールを使わず、ゴールマンという人にキャッチしてもらうもの)


できないと思ってるから一向に上達しないし

イヤイヤ行ってるから楽しくもないの

でもこれはピアノの時のように辞める勇気がなかった

というより、まわりの目が気になって

辞めるなんて言えなかった



球技を除いては

まあまあ運動が得意だったわたしは

体育が大好きだった



でも1つ、毎年憂うつになるのが

スポーツテスト



それは『ソフトボール投げ』があるから

他の種目はA判定なのにソフトボール投げが

下手すぎたせいで

総合判定は毎年CとかDになるというえーん

これさえなければ!といつも悔しい思いをした



ちなみにね

ボール投げの記録は7メートルびっくりマーク

子供たちに言ったら、

ヤバいね、ありえないと爆笑されたゲラゲラ



ソフトボールなんて

スポーツテストの時しか触らないし

バスケットボールで投げるのとも全然違う

キャッチボールもしたことないから

できないに決まってる



とにかく球技は苦手なんだー❗️

と自己暗示をかけていたわけ



そして

お兄ちゃんがいる友達はいいよねー

キャッチボールできるから

と友達を羨ましく思っていた




その状態から抜けることなく

中学生になり



ここでまた

まわりに流されるわたしが登場



中学も部活動参加は必須



テニス部が第一希望

見学に行くと、希望者が

女子だけ数えても

何十人もいることにビビり



このまま入ってもずっと球拾いかもしれない

練習できたとしても

順番が回って来ないかもしれない

硬式に憧れていたのに軟式だし

とテニスを選択しない理由を挙げて

本当はやりたいのに

あきらめる理由を自分に納得させようとしていた



結局入ったのは



ソフトボール部よびっくりマーク

えっ?!だよね





あれだけ球技苦手で嫌な思いしてきたのに



選んだ理由は

仲良しの友達が何人も入るからチュー

それから、苦手なソフトボールなげを克服できるかも

というわずかな期待おねがい



元々、野球に興味なく

ルールも知らない

ファーストがどこかもよく分からない状態

しかもボール投げ7メートルの記録保持者よ

よく入部したと思う



練習も毎日あって、土日は練習試合

めちゃくちゃキツかった



練習でも試合でも

私のところにはボールが飛んできませんように🙏

と願ってた

試合の時はできればベンチにいたかったし

バッターボックスに入るのも嫌だったなー

超消極的えー



一つだけ良かったのは

ボール投げが出来るようになったこと



これでスポーツテストはバッチリだと思っていたら

中学生のスポーツテストは

ソフトボールじゃなくてハンドボールだったガーン

これまた片手でつかめない微妙な大きさで

苦労したのでした魂が抜ける




お勉強もパッとしないまま

何故か、受からない予測をされていた

高校に合格



高校も部活動参加は必須

小中高、ずっと必須笑い泣き



まぐれ受かりだと思っていたわたしは

運動部に入ったら勉強が大変になると

思い込んでいたから

ネガティブな思い込みは大得意



好きな運動ではなく

キツくなさそうな

まぁ嫌いではない

クラシックギター部に入ることにした



結局

運動部じゃなくても

お勉強は大変で💦

それならやりたい運動部に入っても

良かったんじゃないかと

今なら思う




そういえば

結局、運動したくて

放課後テニススクールに通ったんだった

女子校でしかもチャリ通学だったから 

男子との出会いは皆無

テニススクールは大学生くらいの

イケメンコーチが教えてくれるからウキウキ

結構遠かったのに友達と

バスに乗ってせっせと通ってた




こう書いていくと

いつもその場しのぎで

結構安易な考えで選んでるよね

でもよく言えば、いつも直感で選んでるってこと




それが後々

生かされることになったりするんだけどね




進学校だったから

友達は大学や短大に進学する子が多かった




とにかく地元から脱出したくて

一人暮らしがしたくて

ウズウズしていたわたしは

とりあえず県外の看護学校をメインで探して

願書を取り寄せていた

アメリカに留学して看護師になることも考えて

両親に伝えたけれど、なんかうやむやにされて却下




受験をして

ある看護学校から入学許可をもらい

学校生活&寮生活がスタート



寮は2人部屋

部屋にはベッドと机、水道、冷蔵庫


TVのある談話室とガスコンロ

お風呂、トイレ、洗濯機は共同

実家で好き放題なわがまま生活をしていたから

やっていけるんだろうか?と一瞬頭をよぎったけれど

覚悟を決めるしかなかった



実家にいた時は

何でも母がやってくれ

ご飯なんて作ったことも無かった

友達に教えてもらったり、本を見ながら作ったり

キャベツの千切りが太すぎて笑われたり

出来栄えには目をつむり

とりあえず食べられればいい!と思ってやってたなぁ

母のありがたみを本当に実感した



門限もあったし

ボート部にも入り帰寮はギリギリ

お風呂の時間も掃除の時間も決まってた

試験期間には先輩に夕飯の差し入れ当番もある

制約の多い生活だった



就職したらその制約からも自由になれる!と

期待を胸に

過酷な実習にも耐え



3年後

看護師免許を取得し、就職



看護学校の寮から

門限のない看護師寮(マンション)へ

自由になったと思ったら今度は男子禁制だった笑い泣き



配属された病棟では覚えることもいっぱい

しかも3交替に体が慣れない!

日勤・朝〜夕方、準夜勤・夕方〜深夜、深夜勤・深夜〜翌朝

それでも毎日笑顔で働いていた



とにかく残業が多くてゲンナリしていたけれど

まだこれは仕事のことだからがんばっていた



我慢できなかったのは

うわさ話や他人の詮索

わたしの中で辞めるには充分な理由だった


ナースは女性だけだったから?

みんなひまなだったの?

誰と誰が付き合ってるらしいとか

一緒に歩いていたとか

コソコソ コソコソ

大人なんだしいいじゃん別に!

誰と付き合おうが、一緒にいようが!

ほっといてー!

わたしもけっこう言われて疲れたというのもある



働く環境や人間関係は

変わるのを待っていても

思い通りにはならないのだと気づいたのでした



またまた

長文をお読みくださり

ありがとうございました!



もう少し続きます…