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重度の食物アレルギーをきっかけに

片づけのプロになった私のラボ収納ができるまでのお話です。

自己評価30点くらいの落第点母ちゃんが一度奈落の底に落ちたのは

次男が離乳食を初めた2016年のことでした。

 

もともと自己評価30点!?

今思うと「おいおい、何故そんなに自己評価低いんだ!?」

と突っ込みたくなりますが、そうなった原因もまたいずれ。

  食物アレルギーの発覚

長男が2歳、目が離せないやんちゃ盛りに誕生した次男。

いつもニコニコしていて、笑うことが多い可愛い存在。

まさか重度の食物アレルギーとは思わずうどんをひとさじ。

食後にミルクをけぽっと出したのに、吐き戻しは良くあること

だと長男の経験で思い込んでしまいました。

数日後にうどんを2さじ食べたらおんぶしている背中で嘔吐。

顔を見たらみるみる腫れあがり、全身が痒いのかガリガリと搔きむしりだしました

。血が出るほど掻きむしる姿に「何かがおかしい!!」とは分かりましたが、まさかアレルギーだとは思わず、♯8000に電話しました。そこでもアレルギーとは分からなくて慌てて受診することに。アナフィラキシーと分かり、小児科で重度の小麦、卵アレルギーと診断を受けました。

 

主治医には「アレルゲンを完全に除去してください。命に関わりますから、気を付けて下さい。」と言われます。

気を付けるって、どうやって…?ここがラボ収納スタート地点

何を隠そう私は病的なパン好き、小麦好き。

得意料理はキッシュ、

お好み焼きは毎年誕生日に食べてきた大好物。

趣味はクッキーづくりやケーキづくりです。

子供に美味しい洋菓子をつくるのが当たり前の幸せ。

 

私たちどうなっちゃうの??

 

簡単に言ってくれるけど、完全除去ってすごく大変なんじゃないかな。

私の不安は膨れ上がって、がっくりした気持ちで息子たちを見つめていました。

お会計を待つ私の姿が小児科の水槽に写っているのを見て

背中が丸めて途方にくれた自分は長男が好きなダンゴムシみたいだなと思いました。

 

  今の暮らしを見つめ直す

先が見えない毎日。それでも明日はやってくる。

アレルギーの次男だけでなくアレルギーの無い長男も

私たち夫婦の毎日も続いていく。

 

毎日の美味しくて幸せな食事が次男にとっては命を脅かすもの。

受け入れるのは大変なことでした。

 

飲食が自由な児童館などでは「小麦・卵アレルギーです!」

とガムテープに書いて次男の背中に張り付けました。

1.2歳児は座って食べたりも難しいから、おやつの時間までには

帰ろうと思いましたが、長男はみんなと食べたくて大泣き。

「また来ようね!帰ろう!」無理矢理手を引いて帰る事を選んでいる私は何だか本当に残念なお母さんのように感じて落ち込んできました。

 

これはまずい状況だよ?

 

とだけは当時の自分にも分かっていましたが

前向きになれる術が全くありませんでした。

 

家づくりを通して、自分たちがどうやって暮らしていきたいのか

変えること、変えないことを見つめ直すきっかけになっていきます。

 

つづく