昨年の3月は日本に里帰りしてました。
下記の過去記事の中で、日本からケアンズの自宅に戻った母さんを、お坊ちゃまがうれション付きでお出迎えしてくれたと書いています。
しっぽをブンブン振って熱烈歓迎してくれたっけ。
あれから1年、お坊ちゃまはもうしっぽを振らなくなりました。
自分の名前も、父さん母さんのことも忘れちゃったみたいです。
お坊ちゃまが認知症で徘徊もするようになってるとは、1年前のあの頃は想像もしてなかったなあ。
現在のヨボヨボしてるお坊ちゃまが愛しくてたまらない半面、昔みたいにしっぽブンブン振りながら”母さ~んッ”て飛びついてきてほしいなあ、なんて思ってしまう時もあります。
エスプラナードでペリカンを発見
1年て、長いようで短い。
昨日はお坊ちゃまのことから派生して、私自身の年齢的な健康問題や老いへの恐れ、仕事や経済的なことについてなどをつらつらと考えてしまった。
こういう風な物事の広げ方をしてしまうのは、私の悪い思考癖です。
私がこうなるのは、将来への漠然とした不安があるからなんだと自覚しています。
なので何がどう不安なのかを具体的にノートに書きだしてみて、ひとつひとつの項目に対処できることはあるのかを考える作業を少しづつ始めました。
ぬんっ!
キラキラだけど浅いスピリチュアル系や自己啓発系に私が傾倒しがちだった頃は、問題にきちんと向き合っているようで実は、”ありのままでいいのよね~”と目の前の現実から逃げていたと思います。
そのツケはいつか必ず回ってくる。
というか今、回ってきてるかも!?
自分から逃げない。
現実から逃げない。
生きるってそういうことなんでしょうね。
※全てのスピリチュアルが浅くて胡散臭いわけではありません。