ちょっと久しぶりの更新です。

このセリフよく言ってる気がする・・・

 

今回は90年代のパチンコ台を回想します。

私がパチンコを始めた90年代の初期・・・1991年くらい?は、現在のようにインターネットは存在せず、

パチンコの情報は一般的にはパチンコ雑誌から仕入れるものでした。

当時のパチンコ雑誌の発行は月に1回。

今とは比べ物にならない程情報が入るのが遅い時代です。

 

なので、新台として入った台がどんな台なのか全く分からないというのは珍しいことではありませんでした。

今のように台を解説したメーカー製の小冊子もなく、なんなら台の種別や遊び方も分からないことがありました。

導入したお店は、さすがに遊び方等は分かった上で入れているのですが、ゲーム性までは導入後ある程度客が打たないと分からないということもあったのです。

 

今だとあり得ないですよね。

当時はこのことに何の疑問も持たなかったから不思議です。

当時は怪しげな連チャン機が次々に出始めた時代。メーカーの公式発表などアテにならない何でもありの時代でした。

でも!だからこそ面白かったんですよね~・・・どんな台なのかどんなゲーム性なのか分からないから、色々想像しながら探求するわけです。

そして、「この台は何もない」ということは少なく、ほとんどの台に何かしらメーカーの工夫(細工?)がありました。

 

今にも語り継がれるレジェンド級のパチンコ台はいくつもありますが、超有名どこをふたつ挙げます。

平和の麻雀物語です。

この台を最初に見たのは、白夜書房のパチンコ必勝ガイドの新台速報でした。

業界初のカラー液晶モニター搭載が話題となり、雑誌も専らそれを紹介するものでした。

実物を初めて見たのは、店員のアルバイトをしていた熊本市通町筋の大劇ホールの新台入替の時。

自分は店員だったので当然そこで打つことはなかったんですが、初めて打ったのはどこか全然覚えてない・・・

まぁ、そのしばらく後です。

麻雀物語はアタッカーエラーで連チャンを誘発する強力な保留玉連チャン機だったんですが、当時そんな情報はありません。

連チャン率は高かったので、連チャン機であることはすぐに分かったのですが、要因までわかるのは時間を要しました。

 

もうひとつは三共のフィーバーキングⅡ

この台を最初に見たのは同じく白夜書房のパチンコ必勝ガイドなんですが、雑誌の最終ページ近くに載っていた2センチ四方程度の小さな写真付き速報。

ドラムがデカいということだけ書かれていて、写真も小さいのでそれ以外の情報が全然ないものでした。

 

この台の実物を初めて見たのは、宮崎県宮崎市のモナコパレスの今は亡き神宮本店の新台入替。

初当たり確率もゲーム性も何も分からない状態で打ちました。

とにとくドラムのデカさには驚きました。

結論を言うとこの台は保留玉連チャン機だったんですが、私は打ったのが短時間で初打ちでは保留連はしなかったんですが、早い初当たりがポンポンときて勝ちました。

当時は数珠繋ぎ連チャン機と言われる、保留を越えたところで当たりやすくなる連チャン機が登場し始めていたので、この台もそうなのか!?と、その時は思ったものです。

 

それまで月1回だった雑誌の発行が、フィーバーパワフルⅢが登場した時にパチンコ必勝ガイドが月2回発行になり、ライバル誌だったパチンコ攻略マガジンもそれに続いて、それまでよりかは情報が早く入るように段々なってきました。

また、この当時はダイヤルQ2を使ってパチンコ情報を仕入れる手法が出てきた頃ですね。

若い人はダイヤルQ2って分からないと思いますが・・・有料電話サービスと言えばいいのかな。

ダイヤルQ2はインターネット黎明期に色々と悪用され(私も罠にかかってしまってます)、その後下火になりサービスは完全終了しました。これも時代が生んだひとつと言えそうです。

 

また、別に続きを書こうと思います。