今回から、私がパチンコを打ち始めた平成初頭の頃のメーカーの印象を書いていきます。

私がパチンコを始めたのは、ちょうどパチンコの内規変更があってルールが変わる過渡期でした。

もう分かっている人が多いと思いますが、私が理解している範囲で平成初頭の主な変更点はこちら

 

  • おまけチャッカー・一発台の禁止
  • デジパチのアタッカー賞球が最大13個から15個に変更
  • デジパチの最大ラウンド継続回数が10回から16回に変更
  • 羽根物の賞球もデジパチ同様の変更
  • 羽根物の最大ラウンド継続回数が8回から15回に変更
  • 一般電役の電チューのメモリーに上限が付いた
  • デジパチの初当たり上限が1/200よりも良くなった(基準値を守れば高確率の台を作れるようになった)
  • デジタルを使った権利物で確率変動が認められた(デジタル一発抽選の場合最大5倍まで・デジタル+役物振り分けの場合最大10倍まで)
  • デジパチにアタッカー以外の電動役物を搭載可能に(主に電チュー)
  • デジパチで上記電チューは確率変動が認められた(メインデジタルの確率変動は不可)
まだあったとは思いますが思い出せたのはここまで。
かなり大きな変革だったと思います。実際にホールでは新旧入り乱れて色々な機種があった時代です。
 
そしてやっと本題のメーカー考察。
第一回目は、現在パチンコではトップメーカーと思われる三洋です。
平成初頭の三洋は、お世辞にもトップメーカーとは言えず、順番で言うと4番手以下の中堅メーカーだった印象です。
そして今では考えられないような『弾けたメーカー』というイメージもありました。
その最たる例が下記2機種
盤面を見ただけで何かが弾けてる感じします。
左はスマイル、右はパニックコスモという機種です。
詳しいことは覚えていないのですが、スマイルは突拍子のなさを敢えて狙ったのが分かる奇抜さでアタッカーが開くと顔が変わるのが一番大きな特徴??
パニックコスモは、なぜか股間にデジタルがあり、前後賞当たりもあるのが変わっていました。
ちなみにどちらもおまけチャッカーがある旧要件機です。
 
平成初頭の三洋機種で一番印象に残っているのは・・・
ビッグスターです。こちらは新要件機で確か確率が、16回アタッカーを開かせようと思ったら限界の1/200だったと思います。(1/201だったかも)
私が初心者の頃足繫く通っていた、熊本市竜田のニューエンペラー(現在閉店)にこの機種があり、背中に三共のフィーバースパークEDがあったのです。
私は当時、狂ったようにフィーバースパークEDを打ち続けて、ビッグスターはほんのちょっと触る程度でした。
しかし、打ちまくった台の背中にあったということで、ビッグスターのリーチ音や大当たり中の音楽等滅茶苦茶覚えてます。
図柄に宇宙人なのかイカなのかよく分からないのがありました。
出玉性能的には何の特徴もないどノーマル機だったと思うのですが、初当たり確率のせいか数珠的に当たることが多かったですね。
 
ファンには申し訳ないですが、正直この頃の三洋は特に目立った機種もなく、ほんとに『いち中堅メーカー』だったと思います。
そしてこの当時の三洋のデジパチは『パニック』というネーミングが象徴?でした。
ビッグスターにも、機種名にはないのにパニックと書かれています。
機種名にもパニック○○というようにパニックが名前に付くことが多かったです。
パニックが付いていたのはほんとにこの時期くらいまで?で、すぐにパニックという称号は消滅した印象です。
 
そして当時の三洋は『ハンドルがスカスカで一定場所に保持しにくい』のも印象として残っています。
これからも書いていくと思いますが、当時はどのメーカーもハード性能で未熟な面がありました。